折りにふれて読む名作・選/秋日狂乱
日は、朝焼けが見られ
昼下がりは
うす曇りに時折ゆるい陽が射して
けだるい秋の午後。
――といった景色で
思わず中也の詩が浮かんできました。
ヨーロッパは戦争をするのか
そんなこと誰も知りやしない
おぼろげになっている詩行を
あらためて読んでみると。
◇
秋日狂乱
僕にはもはや何もないのだ
僕は空手空拳(くうしゅくうけん)だ
おまけにそれを嘆(なげ)きもしない
僕はいよいよの無一物(むいちもつ)だ
それにしても今日は好いお天気で
さっきから沢山の飛行機が飛んでいる
――欧羅巴(ヨーロッパ)は戦争を起(おこ)すのか起さないのか
誰がそんなこと分るものか
今日はほんとに好いお天気で
空の青も涙にうるんでいる
ポプラがヒラヒラヒラヒラしていて
子供等(こどもら)は先刻(せんこく)昇天した
もはや地上には日向(ひなた)ぼっこをしている
月給取の妻君(さいくん)とデーデー屋さん以外にいない
デーデー屋さんの叩(たた)く鼓(つづみ)の音が
明るい廃墟を唯(ただ)独りで讃美(さんび)し廻(まわ)っている
ああ、誰か来て僕を助けて呉れ
ジオゲネスの頃には小鳥くらい啼(な)いたろうが
きょうびは雀(すずめ)も啼いてはおらぬ
地上に落ちた物影でさえ、はや余(あま)りに淡(あわ)い!
――さるにても田舎(いなか)のお嬢さんは何処(どこ)に去(い)ったか
その紫の押花(おしばな)はもうにじまないのか
草の上には陽は照らぬのか
昇天(しょうてん)の幻想だにもはやないのか?
僕は何を云(い)っているのか
如何(いか)なる錯乱(さくらん)に掠(かす)められているのか
蝶々はどっちへとんでいったか
今は春でなくて、秋であったか
ではああ、濃いシロップでも飲もう
冷たくして、太いストローで飲もう
とろとろと、脇見もしないで飲もう
何にも、何にも、求めまい!……
(「新編中原中也全集第1巻 詩Ⅰ」より。現代かなに改めました。ブログ編者。)
◇
今日はほんとに好いお天気で
空の青も涙にうるんでいる
――とあるので、秋晴れの景色ですが
独特の倦怠感が
昇天の幻想とか錯乱とかにかぶさっています。
今は春でなくて、秋であったか
――とかとあるのは
狂いの感覚ではいささかもなく
白日夢のような
眩暈(めまい)のような感覚の明晰すぎる把握というもので
それが乗り移ってきて……
にわかに甘いものを口に入れたい気分です。
◇
とろけるような青空の日に
詩心は
赴(おもむ)くままに歌いはじめ
終わらない歌になりそうなところで
濃いシロップを飲むイメージで閉じられました。
なんとも言えないこのあ・ざ・や・か・さ。
爽快さ!
すっきり!
何にもいらない!
◇
こうして
ドトールで今日もまた
ブレンド・コーヒーを飲みながら
「在りし日の歌」をめくったのです。
◇
明日(10月22日)は
詩人の命日です。
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