茨木のり子厳選の恋愛詩・初めての高良留美子/「海鳴り」6
(前回からつづく)
「わたし」の眼差しの先にいる「夫や子どもたち」には
友達同士のような
物腰のやさしい夫と立派な子どものイメージ
――と記したのは
まったく思いつきの、
勝手な想像であって
そんなことを思わない人もたくさんいることでしょう。
茨木のり子が母系制を持ち出し
主体は女性の側にあるとまで読み込んだのに釣られて
ついつい
想像をたくましくしてしまったようです。
◇
茨木のり子は「海鳴り」の詩行のどこに
母系制下の、主体的な女のイメージを
読み取ったのでしょうか。
詩の中に
それは記されてあるものなのでしょうか。
記されているとしたら
第3連にしか考えられませんが
敢えて言えば、
わたしは待つ
夫や子どもたちが駈けてきて
――にあると特定できるでしょう。
しかし
そもそも詩をそのように分析することには
気が赴きません。
詩は
血のようなものですから
一つの塊のようなものですから
理屈で分析しはじめると大事なものを見失ってしまいそうです。
◇
ならば
詩の背後を読みこなしてきた詩人の想像力の所産なのでしょうか。
それもあることでしょう。
あるいは
同志としての「勘」みたいなものでしょうか。
それもあるでしょう。
あるいは
女性同志の連帯感みたいなものが
深読みを可能にするのでしょうか。
そうとも言えるでしょう。
◇
ここでは、茨木のり子が
「遊ぶ」という言葉が輝いていると述べた後に
いつかやってくるだろう夫と子供たち、ととれば未来のことになりますし、
すでにいる夫や子供たちと思ってもかまわないでしょう。
――と続けているところに目を向けておきましょう。
このところは
この詩「海鳴り」を恋唄の章に配置した
茨木のり子の企(たくら)みに繋がっていくでしょう。
そして、さらに
夫や子供たちが駈けてきて
世界の夢の渚で遊ぶのを。
――という第3連の詩行をピックアップしているところに
目を向けておきましょう。
◇
確かに、この「遊ぶ」には
遊園地のメリーゴーランドの親子の風景というようなイメージはなく
もっともっと削ぎ落された
素朴なイメージの親と子があるようであり
茨木のり子が「新品」とさえ言う「遊び」のイメージが
そこに生まれるようであります。
母系制との繋がりを明確に表明しているものではありませんが
ここにそれはあるでしょう。
茨木のり子は
第3連のこの詩行について
さらに次のような読みを加えます。
曰く――。
このイメージは朝もやのように煙(けむ)って夢幻的な美しさ、
第1連、第2連の小さな子宮を越えて、
茫々としたひろがりをもっています。
(「詩のこころを読む」より。改行を加えました。編者。)
◇
少なくともこのあたりまでは
「海鳴り」という詩を
詩行に沿って茨木のり子は読んでいます。
◇
乳房
海鳴り
月
地球
海
波
砂地
わたし
夫と子どもたち
世界の夢の渚
……。
このようにして
「世界の夢の渚(なぎさ)」は
この詩「海鳴り」が収められている詩集の
タイトル詩である「見えない地面の上で」(のテーマ)へと
接続していきます。
◇
誰にも見えない
誰にも見えなかった
場所。
見えない大地
見えていない地面。
「海鳴り」の作者は
誰も見ようとしなかったもの
詩人自身も見てこなかったものを
こうして見つめようとしたらしいのです。
◇
途中ですが
今回はここまで。
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