折りにふれて読む名作・選/中原中也/「少女と雨」
毎年毎年、年の瀬を迎え、新年を迎える時期になると
世間や周囲が俄然慌(あわ)ただしくなって
それでもぼくはぼくなりのペースを保とうとして
慌てず騒がず何食わぬ顔をしているうちに
いつしか近辺で、
はじめは職場で、やがては家族が
ごそごそがやがやいそいそとやりはじめるので
こちらもそうしなければならなくなって
大晦日と元日くらいはどうしても世間並みに
――ということになって、
めでたくもないのに
「あけおめ」「あけおめ」と繰り返す日々ですが。
世間がそうであるから却(かえ)って
静かに瞑目(めいもく)する時間が手に入るというものです。
◇
年賀状を書いた余韻なのかもしれませんが
小学校や中学校や
時には幼稚園や
時には高校時代の……
それも「校舎」や「校庭」の景色が浮かんできて
しばらくは「学校の時間」にワープすることがあります、よね。
中也の詩が
そういう時に立ちのぼって来ます。
◇
少女と雨
少女がいま校庭の隅に佇(たたず)んだのは
其処(そこ)は花畑があって菖蒲(しょうぶ)の花が咲いてるからです
菖蒲の花は雨に打たれて
音楽室から来るオルガンの 音を聞いてはいませんでした
しとしとと雨はあとからあとから降って
花も葉も畑の土ももう諦めきっています
その有様をジッと見てると
なんとも不思議な気がして来ます
山も校舎も空の下(もと)に
やがてしずかな回転をはじめ
花畑を除く一切のものは
みんなとっくに終ってしまった 夢のような気がしてきます
(「新編中原中也全集 第2巻・詩Ⅱ」より。現代表記に改めました。編者。)
◇
年の瀬ですから
埋没しているわけにもいきませんが
ほんの数分間か
もっと短い、数秒のこともありますが
日常時間に戻ってガラス磨きなんかしていても
木造校舎のイメージや水道の蛇口やらが
頭のなかに現われては消え、消えては現われつづけることもあります。
少年時代や幼年期や青春の出来事が
年の瀬・新年になるとこうして
湧き上がるようにしてよみがえります。
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