茨木のり子厳選の恋愛詩・初めての高良留美子/「見えない地面の上で」
(前回からつづく)
(※茨木のり子の読みを離れています。編者。)
詩集「見えない地面の上で」が
とっつきにくい詩に満ちていても
驚くようなことではありません。
何度も何度も読んでいるうちに
「見えないもの」は少しづつ
見えてくるはずのものです。
◇
「白木蓮」
「彼女」
「見えない地面の上で」
「地球の夜」
――と巻頭につづく詩の4作が4作ともに
最終連(行)へきてようやく
詩の企(たくら)みを明確にするかたちになっていることに気づくのも
その一つであることでしょう。
◇
見えない地面の上で
見えない地面の上で
枯葉の擦れあう音は胸をうがち
やがて 斑(まだら)の悲しみとなって
空の彼方へと流れ出る。
冬日に戯れる仔犬の毛は
気短かな飢えに輝やく
土地は空しく養っている
ひきがえると 老いたやもりを。
置き忘れられた踏み台と移植ごて
閉ざされた古いガラス窓――
風はひび割れた敷石に
消えた足音を蘇(よみがえ)らせる。
空は碧さによって隔てられ
高みから わたしを襲う
残酷な未知の希望と
冴えわたるその嘲笑で。
青空の眼はわたしをつらぬく
狡猾な大地 豊穣な母
お前への わたしの欲求の傷痕(しるし)である
引き裂けたこの空虚な心を。
(思潮社「高良留美子詩集」より。)
◇
詩集のタイトル詩であるこの詩の
親しみ難さは
どこからやってくるものでしょうか。
そもそも
「見えない地面」とはどのような地面なのでしょうか。
その地面で擦れ合う枯葉――。
その音は詩人の胸に穴を開け
やがて斑模様の悲しみになり
空の向こうへと流れ出て行く。
この情景が見えない地面であるならば
この情景を見ているのは詩人でしかありません。
詩人は
見えない地面の上を見ているのです。
◇
さてでは、
第2連以降の詩行は
何を歌っているのでしょう。
冬日にじゃれる子犬は
枯葉舞う地面と連続する風景。
その子犬の毛が
空腹で息を荒げているために
横腹が波打っている、か。
この土地は
ひきがえると老いたやもり――のような古めかしい(アナクロニズムな)生き物を
空しく生きながらえさせている、か。
◇
次の連も
同じようなメタファーの繰り返しでしょう。
置き忘れられた踏み台と移植ごては
遠い日の記憶でしょうか?
閉ざされた古い窓ガラスとともに。
風が吹いている、ひび割れた敷石の風景から
消えていった足音が立ちのぼってくる。
――という記憶、これも。
◇
次の連は
わたし=詩人の現在(および過去)。
第1連に現われた空につながっています。
まったき青が
わたしにのしかかる(襲う)。
「残酷な未知の希望」も
「冴えわたるその嘲笑」も
希望の内容であり嘲笑の内容であるから
矛盾や不条理を孕(はら)んでいても
戸惑うことはありません。
青空が
わたし=詩人にそのように見えたのです。
◇
そのように見えた青空が一つの眼になって
わたし(詩人)を射すのです。
青空の眼は
わたしをつらぬく
狡猾な大地、豊饒な母(でもある)――。
お前(青空)に
わたしは求めたのだ、
その印(しるし)であるのさ、
この空虚な、引き裂かれた心は。
(この最終連は、ほかの読み方ができるかもしれません。)
◇
それにしても
暗黒の霧の中を行くような詩世界を読み進んでいくと、
突然、清明な「海鳴り」が現われ
明快な「木」が現われるに至って、
この二つの詩のシンプルな作りに目が覚めるような衝撃を受ける仕組みは
意図されたものなのでしょうか。
◇
つづく「この一匹の犬と人間たちの一かたまりは」には
戦争があり、
「有毒ガスのにおいのする この凍てついた空の下を」行く一行があり
いったいどこへこの人らは向かっているのか
暗澹とした景色が続きますが
「ニュータウン」は
わたしの知らない世界ではあっても
それがやってくることが確かな明るさを持ちはじめ
親しみが近づいた感じになるのです。
しかし「夏の地獄」に至って
また苦闘を強いられる大作となり
詩集のヤマが「地獄」を歌うのですから
「これは後で読もう。これも後にしよう」と尻込みすることになって
「友だち」へ
そして「幼年期」へ
「帰ってきた人」へと
前へ前へと分け入っていくことになります。
◇
タイトル詩「見えない地面の上で」が歌っていた世界が
これでもかこれでもかと続いているのです。
そうして……。
詩集の末尾には
戦争下に「物ごころ」をつけていった詩人の経験が歌われる詩が
置かれているのに出会います。
◇
途中ですが
今回はここまで。
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