茨木のり子厳選の恋愛詩・初めての高良留美子/「水辺」と「女」と
(前回からつづく)
茨木のり子が「木」について、
第1連の主題が、
つぎつぎ、別の物に姿をかえて、
第4連まで重層的に展開されてゆく、
知的な詩です。
(「詩のこころを読む」。改行を加えました。編者。)
――と記すのを読んで
この「重層的に展開され」た詩が
詩集の中のほかのところにも幾つか収められていることに気づきます。
「場所」以後・「未刊詩篇」(3)には
「水辺」があり
「女」があります。
◇
女
それはどこか、井戸に似た存在で
ひとがそこにつるべを降ろすと
深い 不安な井戸があるのがわかる。
水は暗く柔らいでいて
彼女にはもう境界がない。
彼女はそこに自分を接ぎ木する。
だが 彼女が彼女であることは 水が
水であることよりも難しい
水が水を超えることが難しいように。
わたしと彼女とは
かつて裏切りあった相愛の友
たがいに映しあった二つの鏡だ。
わたしが彼女を逃れるとき わたしは絶えず
彼女にされる そして彼女と向きあうとき
わたしはむしろ “彼”になるのだ。
そして わたしのしたことはわたしだ。
自分のしたことが見えなかったとき
それだけのことしかしなかったから。
(思潮社「高良留美子詩集」より。原作の傍点は“ ”で置き換えました。編者。)
◇
「木」や「水辺」よりも
重層の程度は複雑で錯綜しているように見えますが
じっくり読めば似ていることが理解できるでしょう。
「木」では
木の中の木
青空の中の青空
肉体の中の肉体
街の中の街
――というように。
「水辺」では
コスモスのなかのコスモス
河のなかの河
あなたのなかのあなた
――というように。
「もの」は拡散し水平的に広がりますが
「女」では
井戸のメタファーが水を呼び起こし
水と女(彼女)はほとんど同一化されたところで
今度は超えられぬものとして現われ
「もうひとりの」彼女である(に違いのない)わたしとの関係へ
わたしと水とが
かつて裏切りあい、互いに愛しあった鏡の関係へと跳躍します。
そしてさらに
彼女が水であることのメタファーを維持しながら
わたしが彼女から逃れる(=水でなくなる)ときには彼女にされ
わたしが彼女(つまり水)であろうとするときには「彼」になる
――という新たな局面(存在の出現)を迎えます。
◇
“彼”がどのような存在であるかを
詩は語りませんが
ここに詩(人)の現在はあるらしく
このとき、
わたしのしたことはわたしだ。
――と歌われるのです。
◇
この詩では
メタファーは垂直に深まるように見えながら
わたし・彼女・水(井戸)の関係。
そして最後には
「彼」も現われる複雑な関係へ広がるのです。
◇
「水辺」や「女」から
それほど遠くはないときに
「海鳴り」は書かれ
「木」も書かれました。
◇
茨木のり子が
「海鳴り」を「恋唄」の章に配置した意図が
少しは見えてきたでしょうか。
◇
途中ですが
今回はここまで。
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