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2016年1月

2016年1月26日 (火)

茨木のり子厳選の恋愛詩・初めての高良留美子/「塔」へ5

(前回からつづく)



 

 

 

(茨木のり子の読みを離れています。編者。)

 

 

 

 

 

 

「塔」の第4連には

 

 

 

逸楽の砂地

 

仮装が地獄の道を通って行った

 

酔いしれた鉄骨

 

――といったやや晦渋なメタファーが出てきて少し戸惑いますが

 

最終連としての結語の意図を汲んで読むと具合がよいようです。

 

 

 

 

 

 

 忍耐がかんじんだ。リラの花が海辺をかざるのは夜だけではない。月は虹のあいだに逸

 

楽の砂地を見たのだ。葡萄の実はうれる。はなやかな仮装が地獄の道を通って行った。何

 

時かえってくるとも知れぬ、だが祭りはたしかに酔いしれた鉄骨に不思議な作用を及ぼし

 

たのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(思潮社「高良留美子詩集」所収「生徒と鳥」より。)

 

 

 

 

 

 

忍耐がかんじんだというメッセージが

 

学校がえりの少女たちに向けられたものであることを見失わなければ

 

大筋を外すことはないでしょう。

 

 

 

祭りがどんなことを指示しているか。

 

 

 

これ一つとっても絞りきれませんが

 

集団疎開が戦時下の出来事であることを思えば

 

それ=祭りは

 

「酔いしれた鉄骨」(何らかの障害)に

 

言い難い(不思議な)ダメージを与えた

 

――というようなことが起きたのだと想像することができるのではないでしょうか。

 

 

 

絶望ばかりしている場合じゃないのよと

 

少女たちを励ます声は

 

両親のごたごたを語って聞かせたクラスメートや

 

詩人自身へも向けられていることでしょう。

 

 

 

 

 

 

「学校がえりの少女たち」とは

 

戦時下の、特定の、

 

集団疎開中の少女たちを指している上に

 

(この詩を書いている今の)詩人自身を指しているのであり

 

この詩を書くきっかけになった

 

喫茶店で両親のごたごたを打ち明けたクラスメートでもあり

 

さらには

 

同じような困難のなかにある女性たち全般をも指し示している

 

――ということになるのは

 

この詩が作品となっていく過程で生じる

 

奇跡といってよいでしょうか。

 

 

 

このからくり。

 

 

 

私的な体験が

 

作品化した末に獲得する普遍性の秘密。

 

 

 

それを「わが二十歳のエチュード」の記述が明らかにしています。

 

 

 

 

 

 

「塔」は

 

詩集「生徒と鳥」に発表される以前には

 

1953年10月24日の日付を持つタイトルのない草稿でした。

 

 

 

「わが二十歳のエチュード」では

 

この日付の「スケッチ帳2に」の項に整理されました。

 

 

 

前に韻文(行分け詩)を配して

 

「作品」と題されたのです。

 

 

 

スケッチ帳の草稿を

 

韻文と散文で構成した「詩」の形に整え

 

これに「作品」というタイトルがつけられました。

 

 

 

「作品」につづいて

 

「雲と銀杏(いちょう)」というタイトルの詩が配置されましたから

 

韻文―散文―韻文の形の一連の詩が連なりました。

 

 

 

 

 

 

「塔」は

 

この真ん中の部分で

 

ここではタイトルはありません。

 

 

 

その韻文の部分を読んでみましょう。

 

 

 

前の部分――。

 

 

 

 

 

 

一つの堕落

 

その上につみあげられ、鉄骨の下まで染み通っていった

 

もう一つの堕落

 

君は珈琲店で淡々として母の<淫蕩>を語る

 

 

 

 

 

 

目白の喫茶店でクラスメートが話したごたごたは

 

このように詩語化されます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

途中ですが

 

今回はここまで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2016年1月23日 (土)

茨木のり子厳選の恋愛詩・初めての高良留美子/「塔」へ4

(前回からつづく)



 

 

 

(茨木のり子の読みを離れています。編者。)

 

 

 

 

 

「塔」に

 

メッセージやイメージの伝達や、形式への意識などを読むことは

 

無駄ではありますまい。

 

 

 

作ったその時の方法が

 

ブルトン風の自動速記(automatism)であったとしても

 

作品として発表された時に

 

なんらかの成形(編集)が加えられたかもしれないからです。

 

 

 

そうでなくても

 

メッセージやイメージや形式のほうが

 

勝手に詩に着いてくるというようなことだってありえますし。

 

 

 

 

 

 

というものの、しかし

 

「生活」は銀杏並木に降る。

 

――という1行は

 

この詩に独自の存在感を響かせています。

 

 

 

「生活」が効いているのです。

 

 

 

 

 

 

舟のともづなを解こう。

 

 ふくろうは茂みの中で眼をむくだろう。人間共の、人間共の小心翼々がおまえにわかる

か。だがかれらと同じ赤い血が身内に流れている場合、それはまことにつらい拒否となる。

 

 

 

 忍耐がかんじんだ。リラの花が海辺をかざるのは夜だけではない。月は虹のあいだに逸

楽の砂地を見たのだ。葡萄の実はうれる。はなやかな仮装が地獄の道を通って行った。何

時かえってくるとも知れぬ、だが祭りはたしかに酔いしれた鉄骨に不思議な作用を及ぼし

たのだ。

 

 

 

 

 

 

 

(思潮社「高良留美子詩集」所収「生徒と鳥」より。)

 

 

 

 

 

 

自動的に書かれた言葉が

 

書かれた後で

 

編集されたかどうか。

 

 

 

そのことを追究するのは

 

興味深いことですが

 

今それを問う必要はないでしょう。

 

 

 

「塔」は

 

その制作意識の有無や強弱とは無関係に

 

意味を放ち

 

イメージを散乱させています。

 

 

 

詩行の一部であろうが

 

全体であろうが

 

読みなさいと提示された詩は

 

厳密であろうとなかろうと

 

正確であろうとなかろうと

 

読むに値し

 

読む自由のなかにあります。

 

 

 

 

 

 

「塔」は

 

ほかの詩(自動速記で書かれなかった詩)に混ざって

 

やや異彩を放っているものの

 

自然な感性、通常の言語感覚でも読める詩です。

 

 

 

もちろん意味不明も

 

散らばっていますが。

 

 

 

 

 

 

第3連の、

 

舟のともづなを解こう。

 

――は、字義通りに読めばすむことでしょう。

 

 

 

出発だ。

 

今は漕ぎいでな!(万葉集)

 

 

 

第1連の、

 

塔が崩れてから二千年、不幸は何処にもなかった。

 

 

 

第2連の、

 

塔が崩れてから二千年、不幸はひとびとの頭上で怪物に化け、誰ももう幸福の幻影さえ描くことができない。

 

 

 

このどちらもからスムースに流れています。

 

――と、読むことは可能です。

 

 

 

あえて言えば

 

この流れは起承転結の起承です。

 

 

 

 

 

 

ふくろうが現われて

 

詩はさらに展開(前進)します。

 

 

 

人間どもの小心翼々をあざわらうもの。

 

 

 

だが……。

 

 

 

小心翼々を笑うふくろうには

 

人間どもと同じ血が流れているということだってあるのさ。

 

 

 

ふくろうを拒否するのも

 

覚悟がいるよ。

 

 

 

 

 

 

途中ですが

 

今回はここまで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2016年1月22日 (金)

茨木のり子厳選の恋愛詩・初めての高良留美子/「塔」へ3

(前回からつづく)



 

 

 

(茨木のり子の読みを離れています。編者。)

 

 

 

「わが二十歳のエチュード」(学芸書林、2014年刊)は

 

高良留美子が19歳から22歳にかけての3年間に

 

スケッチ帳

 

ルーズリーフ

 

便箋

 

大学ノート

 

日記帳

 

原稿用紙などに書いた

 

文章と詩、メモ、引用などを収めたもので

 

1952年夏から55年夏の記録です。

 

 

 

 

 

 

 

(同書巻末「解題とあとがき」より。)

 

 

 

 

 

 

 

タイトルの「わが二十歳のエチュード」は

 

戦後すぐに自殺した一高生、原口統三が残した手記「二十歳のエチュード」を擬したもので

 

この「二十歳のエチュード」との間に「 」を置く距離はなく

 

高良留美子の「二十歳のエチュード」であることが際立っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

原口統三は、熱心なランボー読みでした。

 

 

 

 

 

 

 

高良留美子は

 

原口の読みに欠けている角度に照明を与えるようにして

 

女の立場からランボーを読み

「二十歳のエチュード」に拮抗(きっこう)します。

 

 

 

 

 

 

 

それは

 

丁度、「塔」を書く頃のことでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そもそも高良留美子の「塔」の塔が

 

ランボーの「最も高い塔の歌」の塔と

 

遥かなところで響きあっていますから

 

ここでランボーの詩行を想起しておくのは無駄なことではないでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

一部ですが

 

中原中也の訳――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何事にも屈従した

 

無駄だった青春よ

 

繊細さのために

 

私は生涯をそこなったのだ、

 

 

 

 

 

 

 

ああ! 心という心の

 

陶酔する時の来(きた)らんことを!

 

 

 

 

 

 

 

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より。現代表記に直しました。編者。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高良留美子は

 

幼年期(少女時代)に戦争を経験しました。

 

 

 

 

 

 

 

屈従、無駄、そこなった――のは

 

青春ではなく幼年期でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「塔」が記述するのは

 

幼年期の少女の苦難であるとともに

 

青春のさなかの女性の困難でもあるらしい。

 

 

 

 

 

 

 

高校のクラスメートの打ち明け話を聞かされて

 

「塔」は

 

その夜のうちに書きあげられてしまったようですが

 

なぜプライベートなごたごたが

 

この詩を書くきっかけになったのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

それをとやかく説明することを

 

詩人は控えているようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

答え(ヒント)は

 

「わが二十歳のエチュード」に明かされており

 

詩「塔」を繰り返し読むことのなかでしか見つかるわけがないのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

塔が崩れてから二千年、不幸は何処にもなかった。学校がえりの少女たちよ、この篠懸

通りの石段は君たちの脚幅には大きすぎる。赤い陽がまわり、君たちの頬は夕焼け色に

かがやく。わたしは君たちの悩みを追うまい、それはある月のある宵、家伝の金蒔絵の箱

に閉じこめられてしまったのだ。誰のとも知れぬ葬列は延々としてつづくではないか。

 

 

 

(思潮社「高良留美子詩集」より。)

 

 

 

 

 

 

自動速記で書かれた詩の意味をたどることは

 

きっと無駄なことではないでしょう。

 

 

 

 

 

 

第1連に出てくる「学校がえりの少女たち」とは、

 

集団疎開の少女たちであり

 

この詩を書くきっかけになった高校の級友であり

 

詩人自身でしょうか。

 

 

 

「わたし」は「君たち」とは異なり

 

悩みを追うことを封じられてしまったと記述されているからといって

 

君たちとわたしの距離はさほど大きくはない。

 

 

 

2000年のはるか昔に塔は崩れて

 

今や幸福とか不幸とか

 

そんなもの

 

幻想することもできないのは

 

わたしも君たちも同じはずです。

 

 

 

 

 

 

 塔が崩れてから二千年、不幸はひとびとの頭上で怪物に化け、誰ももう幸福の幻影さえ

描くことができない。弾丸が満月をかすり、塔が昇天するのを見た。血が濁った水を押し流

す、問いがうずまく。塔が見つかるのは何処の夏だろう。街の片すみで君は臆病そうな、し

かし堅固そうな瞳を光らせていたっけ。商店街は扉を閉ざし、安時計が時を刻む。「生活」

は銀杏並木に降る。

 

 

 

 

 

 

弾丸が満月をかする、

 

血が濁った水を押し流す、

 

問いがうずまく。

 

 

 

戦争のイメージでしょうか

 

少女たちの問いは胸を裂き

 

塔は渇望される。

 

 

 

それでも

 

「生活」は銀杏並木に降る――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

途中ですが

 

今回はここまで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2016年1月20日 (水)

茨木のり子厳選の恋愛詩・初めての高良留美子/「塔」へ2

(前回からつづく)



 

(茨木のり子の読みを離れています。編者。)

 

 

 

高良留美子を初めて読む人が

 

「塔」に出会うのは

 

第1詩集「生徒と鳥」の中においてです。

 

 

 

詩集18篇の11番目に「公園で」があり

 

「生徒と鳥(1)」

 

「塔」

 

「風」

 

「生徒と鳥(2)

 

――と続く流れの中にさりげなく配置されています。

 

 

 

 

 

 

「塔」はなぜここに現れるのかという問いは

 

第3詩集「見えない地面の上で」を読み進んでいて

 

集末のほうに

 

一連の「幼年期」詩編が現われたときに起こった問いを問うのに似ています。

 

 

 

それは

 

詩人はなぜ幼時の経験を歌うのかと問うようなことですから

 

わかりきったことを問うのと同じにくどいことと言わねばなりません。

 

 

 

 

 

 

「塔」については

 

詩人自らが折あるごとに触れていますから

 

まずはそれらに目を通しておきましょう。

 

 

 

 

 

 

一つは

 

「三つの詩集のあとがき」と題する小文で

 

「高良留美子詩集」(思潮社)に収録されています。

 

 

 

そのうち「生徒と鳥」に言及した部分――。

 

 

 

 

 

 

 わたしはこれらの詩の大半を1956年と57年に書いた。56年の夏から57年の2月まで

フランスに旅行した間に書いたものが多い。「抱かれている赤ん坊」「公園で」「風」「パリ

祭」「昨日海から……」「冬」などがそれで、またそれ以前のテーマをまとめた「生徒と鳥」

1、2、「海辺」なども同じ時期のものである。「塔」は1953年に、「距離」は55年頃書き、

「走る子供」から「雨の日」までに並べた6篇と「アパート時代」は57年の2月以後に書い

た。

 

 

 

 

 

 

 

(思潮社「高良留美子詩集」より。洋数字に改めました。以下同。)

 

 

 

 

 

 

「塔」の制作年だけがここに記されています。

 

ここでは1953年という年を銘記しておきましょう。

第1詩集の中でも

 

最も早い時期の制作であることがわかります。

 

 

 

 

 

 

次に「廃墟のなかから」という小自伝の1節――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 詩を書きはじめたのは大学2年の終りごろ、1953年の1月だったと思う。目白の田中屋と

いう喫茶店がまだいまのように立派に改造される前、汽車の座席のように黄色い椅子が

並んでいるときだったが、そこで高校時代の友だちと会ってその友だちの両親の長い“かく

しつ”の話を聞かされたあと、家へ帰り、突然夜なかにほとんど自動速記で詩を1篇書い

た。それが「生徒と鳥」に収めた散文詩「塔」である。このとき以来、銀杏並木はわたしの詩

にときどきあらわれるようになった。

 

(原作の傍点は、“  ”で示しました。編者。)

 

 

 

 

 

 

詩を書きはじめた具体的なきっかけは、

 

友人が詩人に打ち明けた両親の「ごたごた」でした。

 

 

 

そのことと、

 

「生活」は銀杏並木に降る――という「塔」の詩行とは

 

因果関係を明かすものではありませんが、

 

なにがしかの連なりを暗示しているようでもあります。

 

 

 

このときの詩の書き方は

 

後になっても

 

自動速記という方法として使われることになります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 またわたしはときたま、動いたあとなどに、自動速記で詩を書くことがある。たとえば「見え

ない地上の上で」のなかの「挙式」「通夜」「帰ってきた人」などがそれだが、他の作品でも

最初の行は自動的に出てくることもあり、2行目以下を書くために1年ないし2、3年を経過

してしまうこともある。

 

 

 

 

 

(同。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1971年発行の「高良留美子詩集」に収録された「詩論」や「自伝」で

 

「塔」に関するエピソードを知るのですが

 

最近になって刊行された「わが二十歳のエチュード」(2014年)では

 

高良留美子の1953年の活動(ことさら内面の)が

 

顕微鏡で見るように拡大されます。

 

 

 

「塔」の位置が、その中で

 

ベールを剥ぎ取られるようにして

 

明らかになります。

 

 

 

 

 

 

途中ですが

 

今回はここまで。

 

 

2016年1月17日 (日)

茨木のり子厳選の恋愛詩・初めての高良留美子」/「塔」へ

 

 

 

 

(前回からつづく)

 

 
(茨木のり子の読みを離れています。編者。)

 

 

 

 

 

 

 

高良留美子は

 

1932年(昭和7年)12月の生まれで

 

思潮社の「高良留美子詩集」は

 

1971年に発行されたのですから

 

40歳近くで現代詩文庫入りしたことになります。

 

 

 

この詩集中に

 

第1詩集「生徒と鳥」、

 

第2詩集「場所」

 

第3詩集「見えない地面の上で」の全篇のほか

 

未刊詩篇の幾つかも収録されています。

 

 

 

1971年以前の詩作品を概観できるのですが

 

仮に読んだとしても(読めたとしても)、

 

およそ50年の「近作」に触れることはできません。

 

 

 

 

 

 

「公園で」のタイトルをもつ詩のうち

 

第1詩集「生徒と鳥」にあるものを読んでいるということが

 

高良留美子詩集の詩活動の全体から見て

 

ほんのわずかな位置をしか占めないことを理解しながら

 

もう少し第1詩集をひもといてみましょう。

 

 

 

というのも

 

第1詩集「生徒と鳥」に収められている「塔」を読まないでは

 

「海鳴り」「木」にはじまる

 

高良留美子の詩世界への糸口すらも見失ってしまい

 

それでは元の木阿弥になりますから。

 

 

 

 

 

 

「塔」は

 

謎のような詩ですが

 

この詩人の生誕にからむ「芯」のようなものです。

 

 

 

そのようなものらしく思える作品です。 

 

その一つです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 塔が崩れてから二千年、不幸は何処にもなかった。学校がえりの少女たちよ、この篠懸

通りの石段は君たちの脚幅には大きすぎる。赤い陽がまわり、君たちの頬は夕焼け色に

かがやく。わたしは君たちの悩みを追うまい、それはある月のある宵、家伝の金蒔絵の箱

に閉じこめられてしまったのだ。誰のとも知れぬ葬列は延々としてつづくではないか。

 

 

 

 塔が崩れてから二千年、不幸はひとびとの頭上で怪物に化け、誰ももう幸福の幻影さえ

描くことができない。弾丸が満月をかすり、塔が昇天するのを見た。血が濁った水を押し流

す、問いがうずまく。塔が見つかるのは何処の夏だろう。街の片すみで君は臆病そうな、し

かし堅固そうな瞳を光らせていたっけ。商店街は扉を閉ざし、安時計が時を刻む。「生活」

は銀杏並木に降る。

 

 

 

 舟のともづなを解こう。

 

 ふくろうは茂みの中で眼をむくだろう。人間共の、人間共の小心翼々がおまえにわかる

か。だがかれらと同じ赤い血が身内に流れている場合、それはまことにつらい拒否となる。

 

 

 

 

 

 

 

 忍耐がかんじんだ。リラの花が海辺をかざるのは夜だけではない。月は虹のあいだに逸

楽の砂地を見たのだ。葡萄の実はうれる。はなやかな仮装が地獄の道を通って行った。何

時かえってくるとも知れぬ、だが祭りはたしかに酔いしれた鉄骨に不思議な作用を及ぼし

たのだ。

 

 

 

(思潮社「高良留美子詩集」所収「生徒と鳥」より。)

 

 

 

 

 

 

途中ですが

 

今回はここまで。

 

 

 

 

 

 

2016年1月11日 (月)

折りにふれて読む名作・選/中原中也訳ランボー/「孤児等のお年玉」現代表記で

 

ランボー「孤児等のお年玉」の

中原中也訳を

歴史的かな遣いでは読みにくいと感じる人のために

現代表記に直しました。

 

此(こ)の、其処(そこ)、等(ら)などを

ひらがな表記にしたいところでしたが

原作をできる限り維持しています。

  

 

孤児等のお年玉
 

 

薄暗い部屋。

ぼんやり聞こえるのは

二人の子供の悲しいやさしい私話(ささやき)。

互いに額を寄せ合って、おまけに夢想(ゆめ)で重苦しげで、

慄えたり揺らいだりする長い白いカーテンの前。

戸外(そと)では、小鳥たちが寄り合って、寒がっている。

灰色の空の下で彼等の羽はかじかんでいる。

さて、霧の季節の後(あと)に来た新年は、

ところどころに雪のある彼女の衣裳を引摺りながら、

涙をうかべて微笑をしたり寒さに慄えて歌ったりする。

 

 

 

二人の子供は揺れ動くカーテンの前、

低声で話をしています、恰度(ちょうど)暗夜に人々がそうするように。

遠くの囁(ささやき)でも聴くよう、彼等は耳を澄ましています。

彼等屡々(しばしば)、目覚時計の、けざやかな鈴(りん)の音には

びっくりするのでありました、それはりんりん鳴ります 鳴ります、

硝子の覆いのその中で、金属的なその響き。

部屋は凍てつく寒さです。寝床の周囲(まわり)に散らばった

喪服は床(ゆか)まで垂れてます。

酷(きび)しい冬の北風は、戸口や窓に泣いていて、

陰気な息吹を此の部屋の中までどんどん吹き込みます。

彼等は感じているのです、何かが不足していると……

それは母親なのではないか、此のいたいけな子達にとって、

それは得意な眼眸(まなざし)ににこにこ微笑を湛(たた)えてる母親なのではないでしょうか?

母親は、夕方独りで様子ぶり、忘れていたのでありましょうか、

灰を落としてストーブをよく燃えるようにすることも、

彼等の上に羊毛や毬毛(わたげ)をどっさり掛けることも?

彼等の部屋を出てゆく時に、お休みなさいを言いながら、

その晨方(あさがた)が寒いだろうと、気の付かなかったことでしょうか、

戸締(とじ)めをしっかりすることさえも、うっかりしていたのでしょうか?

――母の夢、それは微温の毛氈です、

柔らかい塒(ねぐら)です、其処に子供等小さくなって、

枝に揺られる小鳥のように、

ほのかなねむりを眠ります!

今此の部屋は、羽なく熱なき塒です。

二人の子供は寒さに慄え、眠りもしないで怖れにわななき、

これではまるで北風が吹き込むための塒です……

 

 

 

諸君は既にお分りでしょう、此の子等には母親はありません。

養母(そだておや)さえない上に、父は他国にいるのです!……

そこで婆やがこの子等の、面倒はみているのです。

つまり凍った此の家に住んでいるのは彼等だけ……

今やこれらの幼い孤児が、嬉しい記憶を彼等の胸に

徐々に徐々にと繰り展(ひろ)げます、

恰度お祈りする時に、念珠を爪繰(つまぐ)るようにして。

ああ! お年玉、貰える朝の、なんと嬉しいことでしょう。

明日(あした)は何を貰えることかと、眠れるどころの騒ぎでない。

わくわくしながら玩具(おもちゃ)を想い、

金紙包(きんがみづつ)みのボンボン想い、キラキラきらめく宝石類は、

しゃなりしゃなりと渦巻き踊り、

やがて見えなくなるかとみれば、またもやそれは現れてくる。

さて朝が来て目が覚める、直ぐさま元気で跳(は)ね起きる。

目を擦(こす)っている暇もなく、口には唾(つばき)が湧くのです、

さて走ってゆく、頭はもじゃもじゃ、

目玉はキョロキョロ、嬉しいのだもの、

小さな跣足(はだし)で床板踏んで、

両親の部屋の戸口に来ると、そおっとそおっと扉に触れる、

さて這入ります、それからそこで、御辞儀……寝巻のまんま、

接唇(ベーゼ)は頻(しき)って繰返される、もう当然の躁(はしゃ)ぎ方です!

 

 

 

ああ! 楽しかったことであった、何べん思い出されることか……

――変り果てたる此の家(や)の有様(さま)よ!

太い薪は炉格(シュミネ)の中で、かっかかっかと燃えていたっけ。

家中明るい灯火は明(あか)り、

それは洩れ出て外(そと)まで明るく、

机や椅子につやつやひかり、

鍵のしてない大きな戸棚、鍵のしてない黒い戸棚を

子供はたびたび眺めたことです、

鍵がないとはほんとに不思議! そこで子供は夢みるのでした、

戸棚の中の神秘の数々、

聞こえるようです、鍵穴からは、

遠いい幽かな嬉しい囁き……

――両親の部屋は今日ではひっそり!

ドアの下から光も漏れぬ。

両親はいぬ、家よ、鍵よ、

接唇(ベーゼ)も言葉も呉れないままで、去(い)ってしまった!

なんとつまらぬ今年の正月!

ジュと案じているうち涙は、

青い大きい目に浮かみます、

彼等呟く、『何時母さんは帰って来ンだい?』

 

 

 

今、二人は悲しげに、眠っております。

それを見たらば、眠りながらも泣いてると諸君は言われることでしょう、

そんなに彼等の目は腫れてその息遣いは苦しげです。

ほんに子供というものは感じやすいものなのです!……

だが揺籃を見舞う天使は彼等の涙を拭いに来ます。

そして彼等の苦しい眠に嬉しい夢を授けます。

その夢は面白いので半ば開いた彼等の唇(くち)は

やがて微笑み、何か呟くように見えます。

彼等はぽちゃぽちゃした腕に体重(おもみ)を凭(もた)せ、

やさしい目覚めの身振りして、頭を擡(もた)げる夢をばみます。

そして、ぼんやりした目してあたりをずっと眺めます。

彼等は薔薇の色をした楽園にいると思います……

パッと明るい竃には薪がかっかと燃えてます、

窓からは、青い空さえ見えてます。

大地は輝き、光は夢中になってます、

半枯(はんかれ)の野面(のも)は蘇生の嬉しさに、

陽射しに身をばまかせています、

さても彼等のあの家が、今では総体(いったい)に心地よく、

古い着物ももはやそこらに散らばっていず、

北風も扉の隙からもう吹込みはしませんでした。

仙女でも見舞ってくれたことでしょう!……

――二人の子供は、夢中になって、叫んだものです……おや其処に、

母さんの寝床の傍に明るい明るい陽を浴びて、

ほら其処に、毛氈(タピー)の上に、何かキラキラ光っている。

それらみんな大きいメタル、銀や黒のや白いのや、

チラチラ耀く黒玉や、真珠母や、

小さな黒い額縁や、玻璃の王冠、

みれば金字が彫り付けてある、『我等が母に!』と。

                〔1869年末つ方〕

 

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より。ルビは( )で示しましたが、読みやすくするために、原作にはないものを、適宜、加えました。編者。)

 

2016年1月10日 (日)

折りにふれて読む名作・選/中原中也訳ランボー/「孤児等のお年玉」

いかめしい紺青(こあお)の空は

年明けて10日の今日も天をおおいますが

こんなお年玉もあるということですね。

 

……ということで

今回はアルチュール・ランボーのお年玉です。

ランボー少年は

どんなお年玉を用意したのでしょうか。

 

中原中也の翻訳で

原詩のままを読みましょう。

 

 

 

孤児等のお年玉
 

 

 

薄暗い部屋。

ぼんやり聞こえるのは

二人の子供の悲しいやさしい私話(ささやき)。

互ひに額を寄せ合つて、おまけに夢想(ゆめ)で重苦しげで、

慄へたり揺らいだりする長い白いカーテンの前。

戸外(そと)では、小鳥たちが寄り合つて、寒がつてゐる。

灰色の空の下で彼等の羽はかじかんでゐる。

さて、霧の季節の後(あと)に来た新年は、

ところどころに雪のある彼女の衣裳を引摺りながら、

涙をうかべて微笑をしたり寒さに慄へて歌つたりする。

 

 

 

二人の子供は揺れ動くカーテンの前、

低声で話をしてゐます、恰度暗夜に人々がさうするやうに。

遠くの囁でも聴くやう、彼等は耳を澄ましてゐます。

彼等屡々、目覚時計の、けざやかな鈴(りん)の音には

びつくりするのでありました、それはりんりん鳴ります 鳴ります、

硝子の覆ひのその中で、金属的なその響き。

部屋は凍てつく寒さです。寝床の周囲(まはり)に散らばつた

喪服は床(ゆか)まで垂れてます。

酷(きび)しい冬の北風は、戸口や窓に泣いてゐて、

陰気な息吹を此の部屋の中までどんどん吹き込みます。

彼等は感じてゐるのです、何かゞ不足してゐると……

それは母親なのではないか、此のいたいけな子達にとつて、

それは得意な眼眸(まなざし)ににこにこ微笑を湛へてる母親なのではないでせうか?

母親は、夕方独りで様子ぶり、忘れてゐたのでありませうか、

灰を落としてストーブをよく燃えるやうにすることも、

彼等の上に羊毛や毬毛(わたげ)をどつさり掛けることも?

彼等の部屋を出てゆく時に、お休みなさいを云ひながら、

その晨方(あさがた)が寒いだらうと、気の付かなかつたことでせうか、

戸締(とじ)めをしつかりすることさへも、うつかりしてゐたのでせうか?

――母の夢、それは微温の毛氈です、

柔らかい塒(ねぐら)です、其処に子供等小さくなつて、

枝に揺られる小鳥のやうに、

ほのかなねむりを眠ります!

今此の部屋は、羽なく熱なき塒です。

二人の子供は寒さに慄へ、眠りもしないで怖れにわななき、

これではまるで北風が吹き込むための塒です……

 

 

 

諸君は既にお分りでせう、此の子等には母親はありません。

養母(そだておや)さへない上に、父は他国にゐるのです!……

そこで婆やがこの子等の、面倒はみてゐるのです。

つまり凍つた此の家に住んでゐるのは彼等だけ……

今やこれらの幼い孤児が、嬉しい記憶を彼等の胸に

徐々に徐々にと繰り展(ひろ)げます、

恰度お祈りする時に、念珠を爪繰るやうにして。

あゝ! お年玉、貰へる朝の、なんと嬉しいことでせう。

明日(あした)は何を貰へることかと、眠れるどころの騒ぎでない。

わくわくしながら玩具(おもちや)を想ひ、

金紙包(きんがみづつ)みのボンボン想ひ、キラキラきらめく宝石類は、

しやなりしやなりと渦巻き踊り、

やがて見えなくなるかとみれば、またもやそれは現れてくる。

さて朝が来て目が覚める、直ぐさま元気で跳(は)ね起きる。

目を擦(こす)つてゐる暇もなく、口には唾(つばき)が湧くのです、

さて走つてゆく、頭はもぢやもぢや、

目玉はキヨロキヨロ、嬉しいのだもの、

小さな跣足(はだし)で床板踏んで、

両親の部屋の戸口に来ると、そをつとそをつと扉に触れる、

さて這入ります、それからそこで、御辞儀……寝巻のまんま、

接唇(ベーゼ)は頻(しき)つて繰返される、もう当然の躁ぎ方です!

 

 

 

あゝ! 楽しかつたことであつた、何べん思ひ出されることか……

――変り果てたる此の家(や)の有様(さま)よ!

太い薪は炉格(シユミネ)の中で、かつかかつかと燃えてゐたつけ。

家中明るい灯火は明(あか)り、

それは洩れ出て外(そと)まで明るく、

机や椅子につやつやひかり、

鍵のしてない大きな戸棚、鍵のしてない黒い戸棚を

子供はたびたび眺めたことです、

鍵がないとはほんとに不思議! そこで子供は夢みるのでした、

戸棚の中の神秘の数々、

聞こえるやうです、鍵穴からは、

遠いい幽かな嬉しい囁き……

――両親の部屋は今日ではひつそり!

ドアの下から光も漏れぬ。

両親はゐぬ、家よ、鍵よ、

接唇(ベーゼ)も言葉も呉れないまゝで、去(い)つてしまつた!

なんとつまらぬ今年の正月!

ジツと案じてゐるうち涙は、

青い大きい目に浮かみます、

彼等呟く、『何時母さんは帰つて来ンだい?』

 

 

 

今、二人は悲しげに、眠つてをります。

それを見たらば、眠りながらも泣いてると諸君は云はれることでせう、

そんなに彼等の目は腫れてその息遣ひは苦しげです。

ほんに子供といふものは感じやすいものなのです!……

だが揺籃を見舞ふ天使は彼等の涙を拭ひに来ます。

そして彼等の苦しい眠に嬉しい夢を授けます。

その夢は面白いので半ば開いた彼等の唇(くち)は

やがて微笑み、何か呟くやうに見えます。

彼等はぽちやぽちやした腕に体重(おもみ)を凭(もた)せ、

やさしい目覚めの身振りして、頭を擡(もた)げる夢をばみます。

そして、ぼんやりした目してあたりをずつと眺めます。

彼等は薔薇の色をした楽園にゐると思ひます……

パツと明るい竃には薪がかつかと燃えてます、

窓からは、青い空さへ見えてます。

大地は輝き、光は夢中になつてます、

半枯(はんかれ)の野面(のも)は蘇生の嬉しさに、

陽射しに身をばまかせてゐます、

さても彼等のあの家が、今では総体(いつたい)に心地よく、

古い着物ももはやそこらに散らばつてゐず、

北風も扉の隙からもう吹込みはしませんでした。

仙女でも見舞つてくれたことでせう!……

――二人の子供は、夢中になつて、叫んだものです……おや其処に、

母さんの寝床の傍に明るい明るい陽を浴びて、

ほら其処に、毛氈(タピー)の上に、何かキラキラ光つてゐる。

それらみんな大きいメタル、銀や黒のや白いのや、

チラチラ耀く黒玉や、真珠母や、

小さな黒い額縁や、玻璃の王冠、

みれば金字が彫り付けてある、『我等が母に!』と。

                〔千八百六十九年末つ方〕

 

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より。ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れ、新漢字を使用しました。編者。)

 

2016年1月 8日 (金)

折りにふれて読む名作・選/中原中也/「思い出」

 

長詩「思い出」は

 

ポカポカ陽気の春の海を歌います。

 

 

海の沖の

 

金や銀――。

 

 

 

 

 

 

 

思い出

 

 

 

お天気の日の、海の沖は

 

なんと、あんなに綺麗なんだ!

 

お天気の日の、海の沖は

 

まるで、金や、銀ではないか

 

 

 

金や銀の沖の波に、

 

ひかれひかれて、岬の端に

 

やって来たれど金や銀は

 

なおもとおのき、沖で光った。

 

 

 

岬の端には煉瓦工場が、

 

工場の庭には煉瓦干されて、

 

煉瓦干されて赫々(あかあか)していた

 

しかも工場は、音とてなかった

 

 

 

煉瓦工場に、腰をば据えて、

 

私は暫(しばら)く煙草を吹かした。

 

煙草吹かしてぼんやりしてると、

 

沖の方では波が鳴ってた。

 

 

 

沖の方では波が鳴ろうと、

 

私はかまわずぼんやりしていた。

 

ぼんやりしてると頭も胸も

 

ポカポカポカポカ暖かだった

 

 

 

ポカポカポカポカ暖かだったよ

 

岬の工場は春の陽をうけ、

 

煉瓦工場は音とてもなく

 

裏の木立で鳥が啼いてた

 

 

 

鳥が啼いても煉瓦工場は、

 

ビクともしないでジッとしていた

 

鳥が啼いても煉瓦工場の、

 

窓の硝子は陽をうけていた

 

 

 

窓の硝子は陽をうけてても

 

ちっとも暖かそうではなかった

 

春のはじめのお天気の日の

 

岬の端の煉瓦工場よ!

 

 

 

  *          *
       *          *

 

 

 

煉瓦工場は、その後廃(すた)れて、

 

煉瓦工場は、死んでしまった

 

煉瓦工場の、窓も硝子も、

 

今は毀(こわ)れていようというもの

 

 

 

煉瓦工場は、廃れて枯れて、

 

木立の前に、今もぼんやり

 

木立に鳥は、今も啼くけど

 

煉瓦工場は、朽ちてゆくだけ

 

 

 

沖の波は、今も鳴るけど

 

庭の土には、陽が照るけれど

 

煉瓦工場に、人夫は来ない

 

煉瓦工場に、僕も行かない

 

 

 

嘗(かつ)て煙を、吐いてた煙突も、

 

今はぶきみに、ただ立っている

 

雨の降る日は、殊にもぶきみ

 

晴れた日だとて、相当ぶきみ

 

 

 

相当ぶきみな、煙突でさえ

 

今じゃどうさえ、手出しも出来ず

 

この尨大(ぼうだい)な、古強者(ふるつわもの)が

 

時々恨む、その眼は怖い

 

 

 

その眼怖くて、今日も僕は

 

浜へ出て来て、石に腰掛け

 

ぼんやり俯(うつむ)き、案じていれば

 

僕の胸さえ、波を打つのだ

 

 

 

(「新編中原中也全集 第1巻・詩Ⅰ」より。現代表記に改めました。編者。)

 

 

 

 

 

 

ところが、ご覧のとおり

 

この詩が歌うのは

 

廃屋となった煉瓦工場です。

 

 

 

死んでしまった煉瓦工場です。

 

 

 

 

 

 

 

 

金や銀にきらめく 

 

海の沖を見にやってきたものの

 

金や銀は遠のいていきます。

 

 

 

岬の煉瓦工場は静まりかえり

 

取り残された煉瓦が

 

赤々とかがやいているばかりでした。

 

 

 

そこに詩人は腰をおろし

 

ゴールデンバットを取り出す。

 

 

 

ポカポカ陽気のなかで

 

詩人の瞑想(めいそう)がはじまります。

 

 

 

 

 

 

煉瓦工場の今昔を知る詩人が

 

いま目前に見るのは

 

煙をはかない煙突。

 

 

 

煙をはかない煙突が

 

ただ立っているのほど不気味なものはない、と歌いますが……。

 

 

 

 

その煙突でさえ手出しもできない存在が現われます。

 

 

この尨大(ぼうだい)な、古強者(ふるつわもの)――。

 

その眼は怖い

 

――と詩(人)は歌います。

 

いったい、その正体は

なんなのでしょうか?

 

 

 

 

この詩が

「思い出」であるわけとともに

大きな謎ですが

それがこの詩の味わいどころでもあります。

 

2016年1月 7日 (木)

折りにふれて読む名作・選/中原中也/「早春の風」

 

やがて、空から深い青が失せる――。

 

陽気が増すにつれて

空は金の粉を浴びる。

 

金の粉を

風が吹き散らす。

 

 

早春の風

 

  きょう一日(ひとひ)また金の風

 大きい風には銀の鈴

きょう一日また金の風

 

  女王の冠さながらに

 卓(たく)の前には腰を掛け

かびろき窓にむかいます

 

  外(そと)吹く風は金の風

 大きい風には銀の鈴

きょう一日また金の風

 

  枯草(かれくさ)の音のかなしくて

 煙は空に身をすさび

日影たのしく身を嫋(なよ)ぶ

 

  鳶色(とびいろ)の土かおるれば

 物干竿(ものほしざお)は空に往(ゆ)き

登る坂道なごめども

 

  青き女(おみな)の顎(あぎと)かと

 岡に梢(こずえ)のとげとげし

今日一日また金の風……

 

(「新編中原中也全集 第1巻・詩Ⅰ」より。現代表記に改めました。編者。)

 

 

春は

ものみなが息を吹き返し

人の呼吸もまた生き返ります。

 

風は金(色)ですし

銀の鈴(の音)ですし

……

 

土は鳶色に香り

空には、物干しざおの洗濯物が舞います。

 

 

女王然として

テーブルの前に座り

大きな窓に向かう女性は

だれのことでしょう。

 

家のなかにいる女性ですから

想像できる範囲にありますが。

 

終連の「青き女」は

丘の樹木の

とげとげしい梢(こずえ)に見立てられた「顎(あご)」の女性です。

 

謎が残ります。

 

 

ドラマを想像させる

なんとも不思議な世界に

誘(いざな)われます。

 

2016年1月 5日 (火)

折りにふれて読む名作・選/中原中也/「春の日の歌」

駅への道すがら

コスモスの咲く空き地があり

寒風のなかで今も濃いピンクの花を咲かせているのですが

気象変動のせいであるからとはいえ

夢のような景色です。

 

その中にじっとしていれば

花に

嬌羞(きょうしゅう=女性のなまめかしい恥じらい)がただようのも
不思議なことではありません。

 

 

春の日の歌

 

流(ながれ)よ、淡(あわ)き 嬌羞(きょうしゅう)よ、

ながれて ゆくか 空の国?

心も とおく 散らかりて、

エジプト煙草(たばこ) たちまよう。

 

流よ、冷たき 憂(うれ)い秘(ひ)め、

ながれて ゆくか 麓(ふもと)までも?

まだみぬ 顔の 不可思議(ふかしぎ)の

咽喉(のんど)の みえる あたりまで……

 

午睡(ごすい)の 夢の ふくよかに、

野原の 空の 空のうえ?

うわあ うわあと 涕(な)くなるか

 

黄色い 納屋(なや)や、白の倉、

水車の みえる 彼方(かなた)まで、

ながれ ながれて ゆくなるか?

 

(「新編中原中也全集 第1巻・詩Ⅰ」より。現代表記に改めました。編者。)

 

 

とろけるような時間はいつしか

夢のようなものになり

夢ではないのに夢のなかにいるような

夢現(ゆめうつつ)の状態になり、

次には夢現でありながら

リアルな激情を誘います。

 

詩人は

そのような時間のなかでこそ

意識、特に言語意識を明晰にし

詩をつかみ出します。

 

 

白日夢に現われる女性の

謎(なぞ)めいて

薄幸そうな

幻のような。

 

遠い存在であるかのような。

 

 

この女性が

長谷川泰子であるかどうか、

そのような想像は無用でしょう。

2016年1月 4日 (月)

折りにふれて読む名作・選/中原中也/「早春散歩」

「厳(いか)めしい紺青(こあお)」の空が

年明けて4日連続して続きます。

 

もういいよという半端(はんぱ)な気持ちを戒(いまし)めるように

陽は惜しみなく降りそそぎます。

 

空の青は時間帯により濃度を変え

一定しているものでないことを知りますから

やがては風が吹き

雲が現われるのですが

こんなにも続く晴天は記憶をたどってもなかなか出てきません。

 

蝋梅(ろうばい)が開花し

白梅が早咲きするニュースは珍しいものではなく

ここ相模原地域でも見かけられます。

 

 

春の姿態はさまざまですし

年によっても異なるのは当たり前ですね。

 

いかめしいこあおの空にも

やがて霞(かすみ)が立つ日が訪れ

風が吹く日がきます。

 

 

早春散歩

 

空は晴れてても、建物には蔭(かげ)があるよ、

春、早春は心なびかせ、

それがまるで薄絹(うすぎぬ)ででもあるように

ハンケチででもあるように

我等の心を引千切(ひきちぎ)り

きれぎれにして風に散らせる

 

私はもう、まるで過去がなかったかのように

少なくとも通っている人達の手前そうであるかの如(ごと)くに感じ、

風の中を吹き過ぎる

異国人のような眼眸(まなざし)をして、

確固たるものの如く、

また隙間風(すきまかぜ)にも消え去るものの如く

 

そうしてこの淋しい心を抱いて、

今年もまた春を迎えるものであることを

ゆるやかにも、茲(ここ)に春は立返ったのであることを

土の上の日射しをみながらつめたい風に吹かれながら

土手の上を歩きながら、遠くの空を見やりながら

僕は思う、思うことにも慣れきって僕は思う……

 

(「新編中原中也全集 第2巻・詩Ⅱ」より。現代表記に改めました。編者。)

 

 

春風は

詩人のこころを靡(なび)かせます。

 

薄衣であるかのように

ハンカチであるかのように

こころを千切って

きれぎれにしてしまいます。

 

2016年1月 2日 (土)

折りにふれて読む名作・選/中原中也/「春」続

2016年元日は

中也の「春」を思わせる快晴の1日でした。

すくなくとも関東地方、すくなくとも相模地方は。

 

「いかめしいこあお=厳めしい紺青」の空が

大地を襲うような

一片の雲もない。

 

このような僥倖(ぎょうこう)を

このような恩寵(おんちょう)を

人は誰しも一生に何度かは味わうことがあるのでしょうか。

 

 

 

春は土と草とに新しい汗をかかせる。

その汗を乾かそうと、雲雀(ひばり)は空に隲(あが)る。

瓦屋根(かわらやね)今朝不平がない、

長い校舎から合唱(がっしょう)は空にあがる。

 

ああ、しずかだしずかだ。

めぐり来た、これが今年の私の春だ。

むかし私の胸摶(う)った希望は今日を、

厳(いか)めしい紺青(こあお)となって空から私に降りかかる。

 

そして私は呆気(ほうけ)てしまう、バカになってしまう

――薮かげの、小川か銀か小波(さざなみ)か?

薮(やぶ)かげの小川か銀か小波か?

 

大きい猫が頸ふりむけてぶきっちょに

一つの鈴をころばしている、

一つの鈴を、ころばして見ている。

 

(「新編中原中也全集 第1巻・詩Ⅰ」より。現代表記に改めました。編者。)

 

 

詩人はこの「春」に

きっと生地である山口県湯田でめぐりあったことでしょう。

 

土や草や

空や雲雀や

校舎やらが

どこかしら広々とした空間を感じさせますから。

 

 

「いかめしいこあお」の空を見た散策は

近くの戸外か

戸外でなくとも

実家の敷地内の庭先か――。

 

このように想像するのは無駄かも知れませんが

ふりむけば猫が鈴とじゃれている風景があったのなら

陽の当たる縁側で

至福の時間を迎えた、今年も。

 

めったに訪れることのない日のようですが

この地に生をうけて

幾度かこんな空にめぐりあったことだろう。
 

 

空は

底なしの青を湛(たた)えた空は

日常に埋没していて見えないだけで

時折は

詩人を襲ったように

ぼくたちの頭上にあるかもしれないのです。

 

 

そんな空が

シリアやイラクや

アフガンや……にも続いているとふと思えば

青は悲しみを帯び

ますます深くもなってきます。

 

 

2016年1月 1日 (金)

2016年賀

あけましておめでとうございます。

本年もよろしくお願い申し上げます。
20161_4

折りにふれて読む名作・選/中原中也/「春」

校庭とか校舎とか教室とか――。

 

学校が詩に呼び出されるのは

追憶(思い出)のためばかりではありません。

 

追憶以上のものがあります。

 

 

 

 

 

 

春は土と草とに新しい汗をかかせる。

 

その汗を乾かそうと、雲雀(ひばり)は空に隲(あが)る。

 

瓦屋根(かわらやね)今朝不平がない、

 

長い校舎から合唱(がっしょう)は空にあがる。

 

 

 

ああ、しずかだしずかだ。

 

めぐり来た、これが今年の私の春だ。

 

むかし私の胸摶(う)った希望は今日を、

 

厳(いか)めしい紺青(こあお)となって空から私に降りかかる。

 

 

 

そして私は呆気(ほうけ)てしまう、バカになってしまう

 

――薮かげの、小川か銀か小波(さざなみ)か?

 

薮(やぶ)かげの小川か銀か小波か?

 

 

 

大きい猫が頸ふりむけてぶきっちょに

 

一つの鈴をころばしている、

 

一つの鈴を、ころばして見ている。

 

(「新編中原中也全集 第1巻・詩Ⅰ」より。現代表記に改めました。編者。)

 

 

中原中也の手にかかっては

学校の景色(の思い出)は万能の妙薬みたいなもの。

 

この詩をじっくり読めば

その秘密がわかります。

 

 

いま、詩人は

実際に「厳(いか)めしい紺青(こあお)」の空の下にいます。

 

冬の間死に絶えていたかの土や草は

瑞々しく息を吹き返し

天高く雲雀は鳴いています。

 

(学校の)瓦屋根も満足気に

長い校舎からは合唱の声があがるのです。

 

春の音たちの途切れた一瞬の

気の遠くなるような静けさ――。

 

 

 

この瓦屋根も長い校舎も

実際に詩人の視界のなかにありますが

同時にその建物の中には

遠い日の記憶がぎっしり詰まっている。

 

「時の建物」でもあるのですね。

 

学校はその「むかし」に

熱くぼくの胸を高鳴らせた希望のありかだったのです。

希望は、

今日のこの日に

紺青の空となってぼくを襲いかかってくる――。

今、ぼくが見ているあの青い空は

希望そのものの実現ではないか!

 

恐ろしいような

とろけるような悦(よろこ)びの中にぼくはいます。

 

 

ここまで書いて

年が明けました。

 

 

(つづく)

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