折りにふれて読む名作・選/中原中也/「春」続
2016年元日は
中也の「春」を思わせる快晴の1日でした。
すくなくとも関東地方、すくなくとも相模地方は。
「いかめしいこあお=厳めしい紺青」の空が
大地を襲うような
一片の雲もない。
このような僥倖(ぎょうこう)を
このような恩寵(おんちょう)を
人は誰しも一生に何度かは味わうことがあるのでしょうか。
◇
春
春は土と草とに新しい汗をかかせる。
その汗を乾かそうと、雲雀(ひばり)は空に隲(あが)る。
瓦屋根(かわらやね)今朝不平がない、
長い校舎から合唱(がっしょう)は空にあがる。
ああ、しずかだしずかだ。
めぐり来た、これが今年の私の春だ。
むかし私の胸摶(う)った希望は今日を、
厳(いか)めしい紺青(こあお)となって空から私に降りかかる。
そして私は呆気(ほうけ)てしまう、バカになってしまう
――薮かげの、小川か銀か小波(さざなみ)か?
薮(やぶ)かげの小川か銀か小波か?
大きい猫が頸ふりむけてぶきっちょに
一つの鈴をころばしている、
一つの鈴を、ころばして見ている。
(「新編中原中也全集 第1巻・詩Ⅰ」より。現代表記に改めました。編者。)
◇
詩人はこの「春」に
きっと生地である山口県湯田でめぐりあったことでしょう。
土や草や
空や雲雀や
校舎やらが
どこかしら広々とした空間を感じさせますから。
◇
「いかめしいこあお」の空を見た散策は
近くの戸外か
戸外でなくとも
実家の敷地内の庭先か――。
このように想像するのは無駄かも知れませんが
ふりむけば猫が鈴とじゃれている風景があったのなら
陽の当たる縁側で
至福の時間を迎えた、今年も。
めったに訪れることのない日のようですが
この地に生をうけて
幾度かこんな空にめぐりあったことだろう。
◇
空は
底なしの青を湛(たた)えた空は
日常に埋没していて見えないだけで
時折は
詩人を襲ったように
ぼくたちの頭上にあるかもしれないのです。
◇
そんな空が
シリアやイラクや
アフガンや……にも続いているとふと思えば
青は悲しみを帯び
ますます深くもなってきます。
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