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2016年2月 4日 (木)

茨木のり子厳選の恋愛詩・初めての高良留美子/「塔」へ7

(前回からつづく)



 

 

 

(茨木のり子の読みを離れています。編者。)

 

 

 

 

 

 

穴――。

 

 

 

掘れば掘るほど大きくなっていく暗闇。

 

 

 

もう少しで

 

向こうが見えそうなのに。

 

 

 

突き抜けることはできるのか。

 

 

 

詩(ことさら現代詩)を読むことは

 

なんと穴を掘る作業に似ていることでしょうか。

 

 

 

 

 

 

「わが二十歳のエチュード」から

 

「塔」と関係していそうな部分を

 

もう少し引いておきましょう。

 

 

 

 

 

 

 今、私は彼の自由をはっきりと見る。彼はやっと私から離れたのだ。だがそれを見た瞬間

私の中を通り過ぎたあの渦巻きの暗さは何か。肉、物体、女、髪の香り、やわらかな胸の

厚み、さらに甘え、母のひざ、伝統、等という言葉が通り抜ける。ああ、私は彼の自由が、

あのような形であらわれるだろうとは、期待していなかったのだ。

 

 

 

あのような形……はっきり言うことはむずかしいが、それは私の中に真黒な渦を巻き起さ

せたもの、まさに肉、物体、女……等という言葉の並列、あたたかさ、柔らかさ、ふくらみ、

純粋、といった一般的な言葉によって表現される非個性的な何かだ。この男、この女でなく

とも、またこの男の肉体、この女のからだでなくともすましうる何か、常にその中に一般性

を見ていることの何かだ。

 

 

 

それは恐ろしい没個性、人間を引きずり込んで沈めてしまう伝統の沼ではないのか。私は

その中に沈められてしまうのは真っ平だ。どんより曇った空の下で鈍く光っている平らな、

貪欲な重い液状の世界(私にはそうとしか思えない)、それこそ私が少女時代を通してたた

かってきた敵だったのだ。

 

 

 

(学芸書林「わが二十歳のエチュード」中「Ⅱ 愛すること生きること、女であること 1953年」より。改行を加えました。編者。)

 

 

 

 

 

 

これらの言葉は

 

「塔」とまったく関係ないものであるかもしれません。

 

 

 

因果関係どころか

 

かえって「塔」から

 

遠ざかる結果となることかもしれません。

 

 

 

そもそも詩は

 

詩の外に意味を読み取るものではありませんので

 

この引用はかなりのリスクを犯していることです。

 

 

 

 

 

 

しかし、この記述の終わりの行、

 

 

 

それこそ私が少女時代を通してたたかってきた敵だったのだ。

 

 

 

――に至るとき

 

ここに「塔」への契機があるのを

 

感じてしまって無理もないことでしょう。

 

 

 

これが

 

塔が崩れてから2千年

 

――とまっすぐに繋(つな)ながっていることを

 

否定できるものではありませんから。

 

 

 

 

 

 

さてここでまた

 

「塔」が書かれた実際のきっかけは

 

目白の喫茶店で高校時代の級友が打ち明けた

 

両親の確執(かくしつ)にあったことを思い出すことになります。

 

 

 

この夜に一気に自動速記されて出来あがった詩が

 

「塔」でした。

 

 

 

 

 

 

いっぽう、

 

Yとの恋愛関係が進行するさなかの

 

1953年のある日に

 

「塔」は書かれたことをも思い出さずにはいられません。

 

 

 

 

 

 

そうです!

 

 

 

「塔」は

 

この二つのきっかけが交差するところから生まれた作品だったのです。

 

 

 

 

 

 

作品が生まれる謎は

 

解き明かそうとする飽くことのない努力とともに

 

謎を謎のままにしてあたためておくのが

 

醍醐味ですから

 

これ以上のことを言うのはやめておきましょう。

 

 

 

そのことによって

 

作品の謎(作品そのものが持つ謎)

 

いよいよ作品を魅力あるものにし

 

作品としての価値を高めるというようなことも起こります。

 

 

 

 

 

 

こうして

 

詩集「生徒と鳥」に

 

公園で

 

生徒と鳥()

 

 

 

生徒と鳥()

 

――と並ぶ詩が

 

一つの流れのように配置されている意図を

 

つかみかけています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 塔が崩れてから二千年、不幸は何処にもなかった。学校がえりの少女たちよ、この篠懸

通りの石段は君たちの脚幅には大きすぎる。赤い陽がまわり、君たちの頬は夕焼け色に

かがやく。わたしは君たちの悩みを追うまい、それはある月のある宵、家伝の金蒔絵の箱

に閉じこめられてしまったのだ。誰のとも知れぬ葬列は延々としてつづくではないか。

 

 

 

 塔が崩れてから二千年、不幸はひとびとの頭上で怪物に化け、誰ももう幸福の幻影さえ

描くことができない。弾丸が満月をかすり、塔が昇天するのを見た。血が濁った水を押し流

す、問いがうずまく。塔が見つかるのは何処の夏だろう。街の片すみで君は臆病そうな、し

かし堅固そうな瞳を光らせていたっけ。商店街は扉を閉ざし、安時計が時を刻む。「生活」

は銀杏並木に降る。

 

 

 

 舟のともづなを解こう。

 



 ふくろうは茂みの中で眼をむくだろう。人間共の、人間共の小心翼々がおまえにわかる

か。だがかれらと同じ赤い血が身内に流れている場合、それはまことにつらい拒否となる。

 

 

 

 忍耐がかんじんだ。リラの花が海辺をかざるのは夜だけではない。月は虹のあいだに逸

楽の砂地を見たのだ。葡萄の実はうれる。はなやかな仮装が地獄の道を通って行った。何

時かえってくるとも知れぬ、だが祭りはたしかに酔いしれた鉄骨に不思議な作用を及ぼし

たのだ。

 

 

 

(思潮社「高良留美子詩集」より。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

途中ですが

 

今回はここまで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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