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2016年2月 7日 (日)

茨木のり子厳選の恋愛詩・初めての高良留美子/「塔」へ8

(前回からつづく)

 

(茨木のり子の読みを離れています。編者。)

 

 

 

 

それこそ私が少女時代を通してたたかってきた敵だったのだ。

 

――と記述するにいたった「それ(敵)」について

詩人はそれを自覚した日から

その時も

その時以後も

現在も

たたかいを続けているに違いない

巨大なテーマのようなものであることが明らかです。

 

「それ」は

一言でいえば

「女」の問題――。

 

 

「塔」は、

「それ」と深く繋がっています。

 

塔が崩れてから二千年

――という「塔」の冒頭行は

女がそのような状況に置かれるようになった歴史的時間のすべてを意味することでしょう。

 

 

ぐるぐるぐるぐる回りながら

詩への入り口を探すのは

穴を掘るようなことであると知り

暗闇はいよいよ大きくなっていくようですが

大きくなった暗闇はまた

詩(世界)の大きさ(スケール)に匹敵(ひってき)するようでもあります。

 

 

学校帰りの少女たちよ

――と「塔」の中で呼びかけられる少女たちは

こうなっては詩人自らも含まれることになりますが

詩はそのように読むことを強要されるものではありません。

 

そう読むのは自由ですが

詩人はこれを「作品」とした時から

「こちら」から「あちら」に詩を投げ出して

「こちら」(=私)と「あちら」(=世界)に距離を置いたのでした。

 

断絶することによって

所有するという

作品化のプロセスを経過しました。

 

 

「塔」の制作に

アルチュール・ランボーの影があるのは

「最も高い塔の歌」(この影響があるかも断定できませんが)ばかりではありません。

 

「わが二十歳のエチュード」中の「日付のない文章17」は

先に引用した「悪夢」の記述に連なっていますが

これには「ランボーの女性観」という見出しがつけられてあります。

 

その後半部は

ランボーの詩にあらわれる「女に対する思想の変化」がまとめられています。

 

①1870年頃の詩

②1871年5月15日の手紙

③1873年の「地獄の季節」

――とランボーの詩文をピックアップして

ランボーの女性観の変化をたどったものの③では、

 

「おれの下の方に女共の地獄を見た」。女たちの地獄が彼の地獄よりさらに“下”の方にあ

るという認識

――と詩人はメモし、

これらの変化にコメントを加えます。

 

 

 右のように、期待と希望にあふれた肯定から「女共の地獄」という認識へ進んだことを見て

も、ランボーの「自然肯定」が挫折せざるを得なかったことは明らかだ。なぜなら、私有財

産制度――分業社会――はまず子孫の再生産における分業によって、男と女を分裂させ

ているからだ。なぜなら、私有財産制度――分業社会――はまず子孫の再生産における

分業によって、男と女を分裂させているからだ。

 

(「わが二十歳のエチュード」中「Ⅱ 愛すること生きること、女であること 1953年」より。)

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

 

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