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2016年2月19日 (金)

茨木のり子厳選の恋愛詩・初めての高良留美子/詩集「生徒と鳥」の「風」その2

(前回からつづく)



 

 

 

 

 

 

 

(茨木のり子の読みを離れています。編者。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

表現が一線を越える

 

――といっても

 

一線を越えてしまってあちらの世界(非現実)に行ったままであるだけではなく

 

こちら(現実)にも同時に踏みとどまっている状態を捉える

 

――という方法がシュールレアリズムのようですから

 

矛盾したその状態こそに真実はあるに違いなく

 

その方法で創られた詩や絵画や映画などを

 

よく見かけることができます。

 

 

 

 

 

詩集「生徒と鳥」をざっとめくると

 

たとえば

 

冒頭詩「昨日海から…」に、

 

 

 

昨日海からやってきて

 

海の暗さについて語った男

 

波の底に見開いている

 

黒い眼について語った男。

 

 

 

――とある「波の底」の「黒い眼」

 

 

 

 

 

たとえば

 

「走る子供」に、

 

 

 

子供は小さな豚になって

 

牧場だと思った空に浮かんでいた、

 

 

 

――とある「子供は小さな豚」

 

 

 

 

 

たとえば

 

「大洪水」に、

 

 

 

 

 

何の変哲もない石っころ

 

石ころの中に水がある

 

水の鏡に空が映る

 

 

 

――とある「石ころの中に水がある」なども

 

矛盾が矛盾のまま存在するシーンです。

 

 

 

 

 

 

 

 

これらは

 

メタファーというよりも

 

シュールです。

 

 

 

波の底が眼であり

 

子供が豚であり

 

石ころの中に水がある

 

――という瞬間(イメージ)が

 

詩(人)によって捉えられた(感知された)のです。

 

 

 

言葉にされたのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

これを謎と見なすのは

 

矛盾を矛盾と見るまなざしのせいです。

 

 

 

矛盾だ非論理的だ出鱈目だと見なす

 

正当なまなざしのせいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

「風」の「石壁のなかに消えた少女」を

 

こうして受け入れることができるでしょうか。

 

 

 

となれば

 

そう生やさしくはありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

「風」には

 

何度も何度も読んでも

 

なお到達できない山頂みたいな謎が待ち構えていて

 

それを越えなければなりません。

 

 

 

一つの名前の断片

 

一つの音

 

別のものがたりの発端がはじまる

 

――などの詩語(詩行)が

 

最後の問いのように聳(そび)えています。

 

 

 

 

 

 

途中ですが 

 

今回はここまで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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