茨木のり子厳選の恋愛詩・初めての高良留美子/詩集「生徒と鳥」の「風」その2
(前回からつづく)
(茨木のり子の読みを離れています。編者。)
◇
表現が一線を越える
――といっても
一線を越えてしまってあちらの世界(非現実)に行ったままであるだけではなく
こちら(現実)にも同時に踏みとどまっている状態を捉える
――という方法がシュールレアリズムのようですから
矛盾したその状態こそに真実はあるに違いなく
その方法で創られた詩や絵画や映画などを
よく見かけることができます。
詩集「生徒と鳥」をざっとめくると
たとえば
冒頭詩「昨日海から…」に、
昨日海からやってきて
海の暗さについて語った男
波の底に見開いている
黒い眼について語った男。
――とある「波の底」の「黒い眼」
たとえば
「走る子供」に、
子供は小さな豚になって
牧場だと思った空に浮かんでいた、
――とある「子供は小さな豚」
たとえば
「大洪水」に、
何の変哲もない石っころ
石ころの中に水がある
水の鏡に空が映る
――とある「石ころの中に水がある」なども
矛盾が矛盾のまま存在するシーンです。
◇
これらは
メタファーというよりも
シュールです。
波の底が眼であり
子供が豚であり
石ころの中に水がある
――という瞬間(イメージ)が
詩(人)によって捉えられた(感知された)のです。
言葉にされたのです。
◇
これを謎と見なすのは
矛盾を矛盾と見るまなざしのせいです。
矛盾だ非論理的だ出鱈目だと見なす
正当なまなざしのせいです。
◇
「風」の「石壁のなかに消えた少女」を
こうして受け入れることができるでしょうか。
となれば
そう生やさしくはありません。
◇
「風」には
何度も何度も読んでも
なお到達できない山頂みたいな謎が待ち構えていて
それを越えなければなりません。
一つの名前の断片
一つの音
別のものがたりの発端がはじまる
――などの詩語(詩行)が
最後の問いのように聳(そび)えています。
◇
途中ですが
今回はここまで。
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