茨木のり子厳選の恋愛詩・初めての高良留美子/「塔」へ6
(前回からつづく)
(茨木のり子の読みを離れています。編者。)
◇
謎が謎を生み
時折は永遠が見えるような
何かをつかんだような
離れて行くような。
「塔」がかかえている時間が
大きすぎるのでしょうか。
◇
「廃墟のなかから」という小自伝は
「高良留美子詩集」(思潮社)が発行された少し前、
1970年頃に書かれたはずですから
その頃の記憶で
「1953年1月だったと思う」と「塔」が書かれた経緯が記されています。
ところが「わが二十歳のエチュード」では
1953年10月24日という日付に
「スケッチ帳2に」として
「塔」はその原初の形を現わします。
◇
2014年刊行の「わが二十歳のエチュード」は
最近になって
資料を収集し直した上で編集したもので
記憶ではなく記録を根拠にしていますから
制作日が修正されたことになるのでしょう。
こちらを決定稿と考えてよいでしょうから
どちらが正しいのかなどと詮索するのは無駄なことです。
1月か10月か。
そんなことより
前年1952年ごろから
詩人は恋愛の中にあり、
「愛」というテーマと格闘していたさなかでした。
一連に繋がる時間の中で
「塔」は書かれ
「作品」は書かれたのでした。
◇
詩人としての出発となった1953年は
2歳上の、師であり同志である、
Y(後の作家・竹内泰弘)との愛の関係が
「決定的瞬間」を迎えて
詩人ならではの内面のたたかいに苦闘していた時でした。
「不思議な出来事」と自ら呼ぶ事件を経るなかで
詩人は詩を書きはじめました。
「塔」は
詩人が認める第1作といえる詩でした。
◇
ここで見ておきたいのは
「塔」は
頂点(始原、根源)とか、
芯(謎、核心)とかいうべきところに
存在(位置)しているという一点です。
◇
第1詩集「生徒と鳥」に
「塔」が配置された理由(わけ)は
このようにくっきりしています。
では
「わが二十歳のエチュード」に
「塔」が現われる理由は何だったのでしょうか。
なぜ
愛の関係の真っ最中(頂点?)に
「塔」は書かれたのでしょうか?
その答えのヒントを
詩人自身の言葉から
拾っておきましょう。
◇
「10月24日 スケッチ帳2に」に「作品」はあり
続いて「11月」の項が立てられた中にある記述です。
「わが二十歳のエチュード」第2章が
「Ⅱ 愛すること生きること、女であること 1953年」とタイトルされた
あたかも核心の芯のような記述の一部です。
◇
私は悪夢にうなされていたのだ。二千年の歴史がよみがえるのだ。長いあいだ、じつに
長いあいだ「物」、肉塊、道具、にされつづけて来た女の、巨大な脅かすようなコンプレック
ス。それが私の脳髄の中で黒雲のようにわき起り、内部から圧しつける。何千年かつづい
た不幸な夜々のすべてが、私の中によみがえる。錯乱した脳髄、肉体の中に閉じこめられ
た意識の混濁、たよりなさ、裏切り、嫉妬、涙、陰鬱、凶暴な怒り、ヒステリー、意志になる
ことのできない欲望の渦、胸の中だけで必死に叫ぶ拒否の言葉、あきらめしか残されてい
ない狭い生活、自由でない女が男の自由を見た時に感じるあのどうにもやり場のない暗
さ、それらのものが一瞬、真黒な渦をまいて過ぎ去った。
◇
途中ですが
今回はここまで。
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