滝口雅子アウトライン特別編/茨木のり子の恋愛詩「私のカメラ」続
(前回からつづく)
◇
茨木のり子の「私のカメラ」が詩集「鎮魂歌」に収められ発表されたのは1965年。
滝口雅子の「青春の詩集」は1967年、
詩集「鋼鉄の足」は1960年の発行です。
「鋼鉄の足」の後半部「Ⅱ」に
男や性をあつかった詩の流れがあるのは
その一部を見てきた通りです。
◇
1960年に滝口雅子と茨木のり子とは面識があり
面識どころか、
日向あき子宅での学習会のような集まりに参加していて
互いに影響しあう関係にあったということの反映とは言えまいか。
これらはほんの一部のことかもしれませんが
作品への響き合い、連続し接続する関係を
物語っているように思えてなりません。
◇
滝口雅子が「私のカメラ」をどのように読んでいるか
「青春の詩集」をめくってみましょう。
それは第3章「恋のよろこび」に配置されています。
第2章「恋にめざめるあなたに」を経て
いまや恋のさなかに「あなた」はいます。
初めて自覚された恋ごころは
やがて男によって開かれてゆく――。
恋心の芽生えを
滝口雅子は次のように記します。
◇
“初恋”のたんたんとしたものが、次第に目をひらいて、朝露にぬれているすがたは、人が示すさまざ
まな姿のなかでも、最も美しいものの一つであろう。
不安が花弁を風も吹かないのにふるわせていて、まだ肉体的な愛を自覚しないときでもある。
それは、暁の空の色のように清らかであるが、何かを予期させるものである。
(二見書房「青春の詩集」より。)
◇
そして、
D・H・ロレンスの「緑」という小品を読みます。
ロレンスは言うまでもなく
小説「チャタレー夫人の恋人」の作家であり、詩人です。
◇
緑
志賀勝訳
暁は林檎の色の緑だった
空は日光にささげられた緑の酒だった
月はその間の金色の花弁だった
彼女は眼をひらいた、すると緑色に
その眼は輝いた、はじめて莟(つぼみ)を破った色が
はじめて人に見られたように
(同。一部、ルビをふり、新漢字に直しました。編者。)
◇
まだ幼さの残っている少女は多分、男の手のなかにある。
男の目は多分、太陽のように強く光っている。
少女の目が、初めて世界をみた時のようなみどり色に輝いているのを見ている。
――という数行で
滝口雅子はこの詩を捉えます。
恋に性の芽生える瞬間です。
そしてロレンス文学へひととおり言及したのちに
「私のカメラ」を読むのです。
◇
この流れの理由は明確です。
女性の側から男性の美を歌ったのが
「私のカメラ」であるという理由です。
◇
途中ですが
今回はここまで。
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