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2016年4月

2016年4月30日 (土)

滝口雅子アウトライン特別編/茨木のり子の恋愛詩集「歳月」/「部分」

 

 

 

 

 

 

(前回からつづく)

 

 

 

 

 

 

 

(滝口雅子アウトラインを離れています。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Yの思い出は

 

像(イメージ)として

 

どのように描かれているでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

たとえば「四面楚歌」に、

 

 

 

 

 

 

 

四面楚歌 項羽ほろぶるのとき

 

窈窕(ようちょう)たる虞美人を

 

どうしたものかと千々にこころ乱るるのうた

 

 

 

 

 

 

 

お酒に酔っていい御機嫌

 

先生の声色よろしく二度ばかり

 

くちずさんだのを聞いている

 

 

 

 

 

 

 

たとえば「最後の晩餐」に、

 

 

 

 

 

 

 

箸をとりながら

 

「退院してこうしてまた

 

 いっしょにごはんを食べたいな」

 

子供のような台詞にぐっときて

 

泣き伏したいのをこらえ

 

 

 

 

 

 

 

たとえば「月の光」に、

 

 

 

 

 

 

 

ある夏の

 

ひなびた温泉で

 

湯あがりのあなたに

 

皓々の満月 冴えわたり

 

 

 

 

 

 

 

(略)

 

 

 

 

 

 

 

いまも

 

目に浮ぶ

 

蒼白の光浴びて

 

眠っていた

 

あなたの鼻梁

 

 

浴衣

 

素足

 

 

 

 

 

 

 

……などとあるのを読んできて

 

次の詩にぶつかります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

部分

 

 

 

 

 

 

 

日に日を重ねてゆけば

 

薄れてゆくのではないかしら

 

それを恐れた

 

あなたのからだの記憶

 

好きだった頸すじの匂い

 

やわらかだった髪の毛

 

皮脂滑らかな頬

 

水泳で鍛えた厚い胸郭

 

π字型のおへそ

 

ひんぴんとこぶらがえりを起したふくらはぎ

 

爪のびれば肉に喰いこむ癖あった足の親指

 

ああ それから

 

もっともっとひそやかな細部

 

どうしたことでしょう

 

それら日に夜に新たに

 

いつでも取りだせるほど鮮やかに

 

形を成してくる

 

あなたの部分

 

 

 

 

 

 

 

(花神社「歳月」より。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一つ屋根の下で暮らした相手の

 

肉体の細部の記憶の

 

その一つ一つが

 

目の前に飛び込んでくるように

 

宝物のように描かれます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このようにブローアップされた像は

 

「町角」では、

 

 

 

 

 

 

 

日ごと夜ごと

 

顔見合わせている

 

古女房なのに

 

なぜあんなにもいそいそと

 

うれしそうに歩いてきたのか

 

 

 

 

 

 

 

姿をみつけると

 

こちらが照れるほどに

 

笑いながら

 

あちらこちらの町角に

 

ちらばって

 

まだ咲いている

 

あなたの笑顔

 

(以下略)

 

 

 

 

 

 

 

――と一歩を引いた地点から描写されます。

 

 

 

 

 

 

 

待ち合わせの場面です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時に接写し

 

時に近距離で

 

時に遠くの方にYはいますが

 

これらの像(肉体)は今、

 

すべてが幻(まぼろし)であることを

 

この詩を書いているそばから

 

詩人は思い知るしかありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「恋唄」が

 

こうして歌われます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

途中ですが 

 

今回はここまで。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2016年4月28日 (木)

滝口雅子アウトライン特別編/茨木のり子の恋愛詩集「歳月」/「古歌」

 

(前回からつづく)

 

(滝口雅子アウトラインを離れています。)

 

 

 

 

愛の歌はまた悲しみの歌である。

 

それはこの世では

かつて存在したが

今はない愛を歌った歌であるから。

 

今ここにはない

愛。

 

かつて確かに存在した

愛。

 

かつて在った愛は

心のなかに今在る。

 

詩集「歳月」は

その記録です。

 

 

古歌

 

古い友人は

繃帯でも巻くように

ひっそりと言う

「大昔から人間はみんなこうしてきたんですよ」

 

素直に頷く

諦められないことどもを

みんななんとか受けとめて

受け入れてきたわけなのですね

 

今ほど古歌のなつかしく

身に沁み透るときはない

読みびとしらずの挽歌さえ

雪どけ水のようにほぐれきて

 

清冽の流れに根をひたす

わたしは岸辺の一本の芹

わたしの貧しく小さな詩篇も

いつか誰かの哀しみを少しは濯(あら)うこともあるだろうか

 

(花神社「歳月」より。)

 

 

この詩にYは現れません。

 

隠れています。

 

耐えがたい悲しみに耐えてきた先人の言葉を噛みしめ

詩人も長い間、忍びに忍んでいる時を過ごして

その中で言の葉を紡(つむ)ぎ出してきました。

 

その詩作を振り返った歌です。

 

 

ラブレター(詩)が書かれた相手があの世にあり

書いた本人も死んでしまった。

 

書いた詩人が生前に

死後発表を意図したラブソングを読むことができるのは

生きている読者だけです。

 

詩はこのように

死者のために書かれ

生者(読者)のために書かれました。

 

 

詩集「歳月」が

悲歌(エレジー)である所以(ゆえん)です。

 

 

「古歌」は詩集の「Ⅲ」に置かれた作品です。

 

「Ⅲ」は

詩人が残した目次メモに記されていない詩篇を集めたもので

5篇のうちの一つであることが

詩集末尾にある「『Y』の箱」(宮崎治)に解説されています。

 

目次メモは長いのと短いのと二つが残されてあり

はじめに書かれた短いメモにあった4篇は

後で新しく書かれた長いメモから削除されてあったもので

この4篇と合わせた9篇が

「Ⅲ」へ配置されたということです。

 

 

詩人は記しました。

 

わたしの貧しく小さな詩篇も

いつか誰かの哀しみを少しは濯(あら)うこともあるだろうか

 

 

どれほど多くの悲しみを

洗い流しているか。

 

読んだ人に

想像できることです。

 

詩人は

嵐のような悲しみを

なんとか受けとめて

受け入れてきたのでした。

 

 

途中ですが 

今回はここまで。 

 

 

 

 

 

 

2016年4月27日 (水)

滝口雅子アウトライン特別編/茨木のり子の恋愛詩集「歳月」/「五月」再

 

(前回からつづく)

 

(滝口雅子アウトラインを離れています。)

 

 

 

「私のカメラ」は

1965年発行の詩集「鎮魂歌」に。

 

「笑って」は

1982年発行の詩集「寸志」に。

 

「行方不明の時間」は

2002年発行の「茨木のり子集 言の葉3」に。

 

発表された詩が

初稿と同じものであるとは断定できませんが

発表したその時が

作品の最終制作日(完成日)であるということもできるのですから

この発表の順序に意味はあることでしょう。

 

 

「私のカメラ」には

あなたが登場し

このあなたはYであり

Yは生存中でした。

 

「笑って」で

あちらの世界は

死すれすれまで行って生き返ったひとによって語られますが

それを語ってくれたひとは詩人自身のようです。

 

「行方不明の時間」で

私は透明な回転ドアのこちらにいて

いつでもあの世にさまよい出てしまいかねない

完全な行方不明(=死)と隣り合わせています。

 

この二つの詩に

Yは現れませんが

今読み返せば

あちらの世界に存在する影があります。

 

 

そして詩集「歳月」は

Yの死後に書かれた詩篇ばかりが集められました。

 

ここには

色とりどりのラブソング、

さまざま形の愛の歌が犇(ひし)めいています。

 

遠い日の思い出でありながら

昨日のことのように生々しい恋唄の群れ。

 

Yに宛てたラブレターでありながら

そのYはこの世に不在であり

決して手にすることはない。

 

詩人も存在しないであろう日に

発表されることが想定されて書かれた詩篇の群れ。

 

 

これを詩と名づけるほかにない

――と言わんばかりに

自己主張する詩篇の群れ。

 

詩はそういうものだという

詩人の意志がここにあります。

 

 

もう一度、「五月」を読んでみます。

 

子狐もなしに

――とあるのは

王子界隈に出没した女狐には子があり

その子狐に慰藉される余裕があったのに比べて

自分には助けてくれる子がいないのだという

落語の物語とは別物であることをわざわざ述べたものでしょうか。

 

参ってしまった状態の強調でしょうか。

 

 

どうやら少しの酒で酔いが回ったのか

悲しみに疲労困憊が重なったからか

傷ついた獣のように

一人住まいの居間のソファなぞに横たわってうつらうつらしていると

夜が明けてしまいます

 

少しだけ眠ったようだが

陽がのぼったので

起きなければなりません

やり残したことは沢山あるのだ

 

重い身を起して

少量の水を飲みに立つと

庭の樹木が

風に揺れているのが見える――。

 

 

詩人は詩人自らを描写しています。

 

題名の五月は

夫の逝った日に違いないのですから

その直後に書かれたものでしょう。

 

逝ったその日であるかもしれません。

 

 

Yへのラブソングばかりの「歳月」の冒頭に

詩人自身が昏迷する状態を歌った詩が置かれたのです。

 

あたかも序詩のように。

 

 

五月

 

なすなく

傷ついた獣のように横たわる

落語の<王子と狐>のように参って

子狐もなしに

夜が更けるしんしんの音に耳を立て

あけがたにすこし眠る

陽がのぼって

のろのろ身を起し

すこし水を飲む

樹が風に

ゆれている

 

(花神社「歳月」より。)

 

 

途中ですが 

今回はここまで。 

 

 

2016年4月25日 (月)

滝口雅子アウトライン特別編/茨木のり子の恋愛詩集「歳月」/「笑って」から「五月」へ

(前回からつづく)

(滝口雅子アウトラインを離れています。)

 

 

茨木のり子の夫・三浦安信が死去したのは

1975年のことでした。

 

詩集「歳月」は

その死を悼んだ鎮魂の詩を集めたものですが

死を受け止めようとして書かれた挽歌でもあり

挽歌を書くうちに思い出は広がり

思い出の広がる中には悲しみに襲われ

それをなぐさめようとして鎮魂歌は生まれ

鎮魂歌を書くうちにそれは相聞歌となりました。

 

死者への相聞(ラブソング)というのは

矛盾するようなことですが

思い出を綴るうちに

それが恋唄になり愛の歌になるのは

自然であり必然でもあるのですから

挽歌はまた相聞でもあり得たのです。

 

「歳月」が

稀(まれ)な恋愛詩集である所以(ゆえん)です。

 

 

では、

「歳月」以外の詩集や

詩集未収録詩篇などに

茨木のり子は恋愛詩を書かなかったでしょうか?

 

――と問えば

茨木のり子という詩人の出自にさかのぼる

探求のまなざしで詩をひもときそうになりますから

ここでは深入りしません。

 

「わたしが一番きれいだったとき」の詩人が

青春時代をどのように過ごしたかは

およそ想像はできることでしょう。

 

 

「歳月」を読むのに

詩人の初恋を想像することは

きっと役に立つことでしょう。



その遠回りを

今はしていられません。

 

 

「寸志」は

1982年に発行された詩集ですから

夫・安信の死後のもので

「自分の感受性くらい」(1977年)に次ぎ

詩集としては死後2番目になります。

 

「笑って」は

「寸志」にあります。

 

その冒頭は、

 

ぽっかり明るい世界が むこうに

長い長い隧道(トンネル)のむこうに まあるく

さあ出るのだ

抜け出るのだ

野の花いちめんにゆれにゆれ

風も吹いてていい匂い

光かがようあちらの世界へ

さあ

 

(谷川俊太郎選「茨木のり子詩集」より。)

 

――と書き出されます。

 

「あちらの世界」が

ここで歌われているのです。

 

 

続く第2連は、

 

語ってくれるのは

死すれすれまで行って生き返ったひと

名前を呼ばれ

しつこく呼ばれ

引きもどされて

意識の戻る寸前まで苛々していたの

うるさいわねえ

ポンとひとつ背中を押してくれさえしたら

あちらのほうに行けるのに

ああ 莫迦ン!

 

――とあり、

この語ってくれるひとが

詩人自身であることは明らかです。

 

 

この詩が

Yの思い出に誘発されたものかどうか

それはわかりませんが

「歳月」に入れてもおかしくはないでしょう。

 

「歳月」へ通じる、このような詩は

ほかに見つかるかもしれません。

 

 

茨木のり子の詩に

「死」が初めて現れるのはいつのことだろうか。

 

この問いを抱えながら

「歳月」冒頭の詩「五月」にふたたび辿りつきます。

 

 

「五月」は

Yを歌いません。

 

 

途中ですが

今回はここまで。 

2016年4月22日 (金)

滝口雅子アウトライン特別編/茨木のり子の恋愛詩集「歳月」/「行方不明の時間」から「五月」へ

(前回からつづく)

 

(滝口雅子アウトラインを離れています。)

 

 

「夢に遊ぶ病」には

タイトルにちなんだ夢遊病が現れながら

それを補強するように「幽冥境」が歌われます。

 

あの世とこの世の間の領域を表わす、

この幽冥境に似た世界(状態)について

茨木のり子はしばしば詩(行)にしていて

「歳月」中にもさまざまな形で現れます。

 

 

たとえば「五月」の次の次にある「夢」。

 

隣のベッドはからっぽなのに

あなたの気配はあまねく満ちて

音楽のようなものさえ鳴りいだす

余韻

夢ともうつつともしれず

からだに残ったものは

哀しいまでの清らかさ

 

詩集後半の「Ⅱ」のはじめの方にある「夜の庭」。

 

夜気に漂よう馥郁の花に誘われて

あの世とこの世の境の

透明な秋の回転扉を押して

ふらり こちら側にあらわれないでもない

 

セルの着物を着て

あれ? 

というように

髪をかきあげながら

 

「Ⅱ」の終わりにある「橇(そり)」。

 

この世から あの世へ

越境の意識もなしに

白皚皚の世界を

蒼い月明のなかを

 

――などとあるのにぶつかります。

 

 

「歳月」以外の詩集にも

見つかります。 

 

その一つ、「行方不明の時間」は

「茨木のり子集 言の葉」のために

2002年に書き下ろされた詩ですから

晩年の作品と言えるものです。

 

 

行方不明の時間

 

人間には

行方不明の時間が必要です

なぜかはわからないけれど

そんなふうに囁(ささや)くものがあるのです

 

三十分であれ 一時間であれ

ポワンと一人

なにものからも離れて

うたたねにしろ

瞑想にしろ

不埒(ふらち)なことをいたすにしろ

 

遠野物語の寒戸(さむと)の婆のような

ながい不明は困るけれど

ふっと自分の存在を掻き消す時間は必要です

 

所在 所業 時間帯

日々アリバイを作るいわれもないのに

着信音が鳴れば

ただちに携帯を取る

道を歩いているときも

バスや電車の中でさえ

<すぐに戻れ>や<今、どこ?>に

答えるために

 

遭難のとき助かる率は高いだろうが

電池が切れていたり圏外であったりすれば

絶望は更に深まるだろう

シャツ一枚 打ち振るよりも

 

私は家に居てさえ

ときどき行方不明になる

ベルが鳴っても出ない

電話がなっても出ない

今は居ないのです

 

目には見えないけれど

この世のいたる所に

透明な回転ドアが設置されている

無気味でもあり 素敵でもある 回転ドア

うっかり押したり

あるいは

不意に吸いこまれたり

一回転すれば あっという間に

あの世へとさまよい出る仕掛け

さすれば

もはや完全なる行方不明

残された一つの愉しみでもあって

その折は

あらゆる約束ごとも

すべては

チャラよ

 

(ちくま文庫「茨木のり子集 言の葉3」より。)

 

 

これらに共通しているのは

「その状態」を捉える明晰で明確な意識です。

 

幽明境(ゆうめいきょう)であるからといって

意識朦朧の状態を歌っているものではありません。

 

 

「夢」は

今しがた見たばかりのような

現在に限りなく近い過去。

 

「夜の庭」も「橇」も

遠い過去の思い出でありながら

昨日のように鮮烈であるというように。

 

 

途中ですが

今回はここまで。 

 

 

2016年4月13日 (水)

滝口雅子アウトライン特別編/茨木のり子の恋愛詩集「歳月」/「五月」

 

(前回からつづく)

 

(滝口雅子を離れています。)

 

 

「歳月」(花神社、2007年)を急遽手に入れ

全39篇を通しで読んでみました。

 

ほぼ半日がかりで。

そして繰り返し読んでいます、今も。

 

 

よくぞここまで書いたもの! と感じながら

もう一度、冒頭の詩「五月」を反芻していて

何故この詩が冒頭に置かれたのだろうかという疑問がぼんやりと湧きはじめ

今でははっきりした問いになっているのに気づきました。

 

「五月」を

まずは読んでみましょう。

 



 

五月

 

なすなく

傷ついた獣のように横たわる

落語の<王子と狐>のように参って

子狐もなしに

夜が更けるしんしんの音に耳を立て

あけがたにすこし眠る

陽がのぼって

のろのろ身を起し

すこし水を飲む

樹が風に

ゆれている

 

(「歳月」より。)

 

 

はじめに読んだときに

この詩の主格が死者であるかを疑い

そのわけがないことは

 

横たわる

参って

子狐もなしに

耳を立て

眠る

身を起し

水を飲む

 

――とある述語を読んで理解します。

 

これらの述語の主体が

この詩の作者=詩人であることは

疑いありませんが

そういう割り切り方では済まないような何かがあるのはなぜだろうと

こびりついて離れないものがあるのを禁じ得ません。

 

 

それは、

 

傷ついた獣のように横たわる

――の主体が死者であるかのような

一種の錯覚から来るもののようです。

 

傷ついた獣とは

医師であった亡き夫のことだと思い違いして

すぐさま修正するものの

思い違いが残像として残っているような。

 

その思い違いを

あたためて保存しておきたいような。

 

 

それは

詩人が意図し企(たくら)んだものではなく

自然に滲み出し映し出される

どこかで経験した覚えのある感覚。

 

――というところまで来て

集中の他の詩(行)に

いくつか思い至ることになりました。

 

その一つ。

途中から引きます。

 

 

夢で遊ぶ病

 

川っぷちの小さな劇場(こや)で

田舎芝居を見物中

不意にわたしは居なくなった

大騒ぎで探されたあげく

川べりまで探されたあげく

どこに通じるのかもわからない暗い階段に

一人ぽつねんと腰かけているのを発見された

 

(略)

 

一人になりたかったのでもなく

芝居がつまらなかったわけでもなく

実にふうわりと

人気ない階段に坐るべき必然性があったのだが

今となっては自分にさえ

うまく説明してやれない

あれは奈落に通じていたのだったろうか

 

(略)

 

セーラー服は教室で

幾何なんぞ聴いているのだが

そこにわたしは居なかった

蛍をみて

  わが身よりあくがれいずる魂かとぞみる

とうたった和泉式部も同病なのかしら

 

その気は今も続いていて

午前三時頃

幽冥 境もものかは

あなたとこの上なく甘美なあいびきに

ひっそり出かけていたりする

 

(同書より。)

 

 

この詩のタイトル「夢に遊ぶ病」も

詩中の「夢遊病」も

そして「幽冥 境」(ゆうめい さかい)も

「あくがれいずる」も

そのほか詩に散らばっているあの世とこの世の間(あいだ)の世界――。

 

これらが

「五月」にかぶさってくるのかもしれません。

 

 

途中ですが

今回はここまで。 

 

 

2016年4月 7日 (木)

滝口雅子アウトライン特別編/茨木のり子の恋愛詩「私のカメラ」から「その時」へ

 

(前回からつづく)

 

 

滝口雅子の「青春の詩集」を読んでいて

茨木のり子の「私のカメラ」にぶつかり

その濃密であり抑制されたエロスの世界にふれることになったのを

なんという巡りあわせと呼べばいいでしょうか。

 

二人の詩人は

実際に面識があったという以上に

創られた詩世界というフィールドで

連続し接続しクロスオーバーします。

 

 

ここで「歳月」の詩のいくつかを

読むことは許されるでしょう。

 

ここで読まないことのほうが

変なことになってしまいますから。

 

 

詩集「歳月」中に「その時」はあり

それはまぎれもなく

「私のカメラ」に繋がる恋唄の名作です。

 

 

その時

  

セクスには

死の匂いがある 

 

新婚の夜のけだるさのなか

わたしは思わず呟いた

 

どちらが先に逝くのかしら

わたしとあなたと

 

そんなことは考えないでおこう

医師らしくもなかったあなたの答

 

なるべく考えないで二十五年

銀婚の日もすぎて 遂に来てしまった

 

その時が

生木を裂くように

 

(岩波文庫「茨木のり子詩集」より。)

 

 

詩集「歳月」は

2007年に発表されました。

 

詩人の死の翌年のことです。

 

40以上の詩篇が

清書された草稿として残り

発見した遺族が詩人自筆の目次通りに本にしました。

 

この単行詩集を手に入れることはそう難しいことではありませんが

岩波文庫「茨木のり子詩集」(谷川俊太郎編、2014年)には

10篇が収録され

一般読者にも身近な存在になりました。

 

この詩「その時」も

同文庫で読めます。

 

 

冒頭の2行にははじめ

フランス映画のキャッチコピーかと思わせる刺激(衝撃)を受けるのですが

読み通せば現在進行中の描写なのではなく

25年前の新婚初夜の思い出であることが分かります。

 

(だからほっとすると言っているのではありません。)

 

この詩が

亡き夫・安信を偲んで歌った恋唄の絶唱であることに気づくのに

時間はかかりませんが

作られたのは安信の死の直後でした。

 

それにしても

新婚の夜の性の営みのさなかに

その肉体の死を思いやるという矛盾のような感覚は

どうして生まれるものでしょうか。

 

どんな気持ちを歌ったものでしょうか。

 

なにが歌われたのでしょうか。

 

エロスにまとわりつく死の影というようなテーマが

茨木のり子という女性詩人によって紡がれていることに

面食らうような感覚があり

何度も何度も繰り返して読まずにはいられません。

 

 

しかし……

これは昨日読んだばかりの「私のカメラ」に

まっすぐに繋がっている詩だ

――ということにもすぐに気づきます。

 

「私のカメラ」が

その時あの時を永遠に封じ込めようとして

眼のシャッターをきったように

「その時」は

もはやこの世にいないあなた(夫)と

新婚のその夜のその時に

交わした会話(つぶやき)を

録音テープに収めたようなものです。

 

「私のカメラ」は

あなたが生存中に

「その時」は

死後に書かれた違いがあるだけです。

 

どちらも

今は存在しないようだけれども

かつて確かに存在したという記憶が

永遠に存在し続けることを

強力に主張しているのです。

 

 

途中ですが

今回はここまで。 

 

 

 

 

2016年4月 4日 (月)

滝口雅子アウトライン特別編/茨木のり子の恋愛詩「私のカメラ」続々

 

(前回からつづく)

 

 

 

 

美は女性の独占であって、男性の美は精神的なものとされてきたが、

男の歩いている後すがた、その肩つきとか、足ののび方とか、頬の線とか、“ひたい“だとか、

女性のあこがれを誘うことは多いのである。

 

(二見書房「青春の詩集」より。改行を加え、ルビは“ ”で示しました。編者。)

 

 

「私のカメラ」の第6、7連の

 

木洩れ陽のしたで笑うあなた

波を切る栗色の眩しいからだ

 

煙草に火をつける 子供のように眠る

蘭の花のように匂う 森ではライオンになったっけ

 

――というような詩行を

滝口雅子は女性が歌った男性美の例として読みました。

 

男の精神的なものだけでなく

身体(肉体)の形や動きや匂いまでもが

女性のあこがれの対象になるという方法は

滝口自らが実作してきた詩の作法でもありましたから

強く惹かれるものがあったのでしょう。

 

両者の詩がクロスするところです。

 

滝口雅子は

「私のカメラ」の、

蘭の花のように匂う 森ではライオンになったっけ

――の1行に

とりわけ注目したに違いありませんが

それに突っ込んでは触れませんでした。

 

象徴的に歌われたエロスを

それ以上分析し解剖する作業を

敢えて踏みとどまった様子です。

 

 

代わりに、滝口雅子は、

 

男性と女性とは二人そろったときが、やはり一番美しい。いくら美しい男だけが揃って集っていても、さ

びしいのである。それに、女ばかりが、どんなに晴れやかに明るく笑っていても、やはり大切なものが足

りないのである。
(同。)

――と続けます。

 

そして、

 

男は女のために、女は男のために存在するのだと思う。男がひとりで、椅子にかけて本をよんでいるの

もすてきであるが、どこかに、その男のために存在している女がいればこそであろう。(同。)

――と結びました。

 

 

本を読んでいる男は

ドラム罐の腰の男(「男S」)と同列でありましょう。

 

 

女性の美しさをとことん描いたロレンスを案内した次に

滝口雅子は「私のカメラ」を配置しました。

 

女性美礼賛の後に

茨木のり子のこの詩が案内されたのですから

男の美しさはよりいっそう官能的であることが予感されるように。

 

「私のカメラ」に

どことはなく漂う官能を嗅ぎとるように。

 

 

しかし、よく考えれば

この詩自体は

詩行通りに

「だあれもしらない」秘密が歌われているのです。

 

この詩の相手である「あなた」も知らない。

 

この詩が作られたその時

詩人しか知らない秘密なのです。

 

詩に歌われて

それが公表されて

相手に知られたということはあっても。

 

 

茨木のり子が亡くなって1年後の2007年、

詩集「歳月」が遺族によって刊行されます。

 

中には「あなた」を歌った詩が多く集められ

それはまぎれもなく

「私のカメラ」に繋がる恋唄の一群でした。

  

 

途中ですが

今回はここまで。 

 

 

 

 

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