滝口雅子アウトライン特別編/茨木のり子の恋愛詩集「歳月」/「古歌」
(前回からつづく)
(滝口雅子アウトラインを離れています。)
愛の歌はまた悲しみの歌である。
それはこの世では
かつて存在したが
今はない愛を歌った歌であるから。
今ここにはない
愛。
かつて確かに存在した
愛。
かつて在った愛は
心のなかに今在る。
詩集「歳月」は
その記録です。
◇
古歌
古い友人は
繃帯でも巻くように
ひっそりと言う
「大昔から人間はみんなこうしてきたんですよ」
素直に頷く
諦められないことどもを
みんななんとか受けとめて
受け入れてきたわけなのですね
今ほど古歌のなつかしく
身に沁み透るときはない
読みびとしらずの挽歌さえ
雪どけ水のようにほぐれきて
清冽の流れに根をひたす
わたしは岸辺の一本の芹
わたしの貧しく小さな詩篇も
いつか誰かの哀しみを少しは濯(あら)うこともあるだろうか
(花神社「歳月」より。)
◇
この詩にYは現れません。
隠れています。
耐えがたい悲しみに耐えてきた先人の言葉を噛みしめ
詩人も長い間、忍びに忍んでいる時を過ごして
その中で言の葉を紡(つむ)ぎ出してきました。
その詩作を振り返った歌です。
◇
ラブレター(詩)が書かれた相手があの世にあり
書いた本人も死んでしまった。
書いた詩人が生前に
死後発表を意図したラブソングを読むことができるのは
生きている読者だけです。
詩はこのように
死者のために書かれ
生者(読者)のために書かれました。
◇
詩集「歳月」が
悲歌(エレジー)である所以(ゆえん)です。
◇
「古歌」は詩集の「Ⅲ」に置かれた作品です。
「Ⅲ」は
詩人が残した目次メモに記されていない詩篇を集めたもので
5篇のうちの一つであることが
詩集末尾にある「『Y』の箱」(宮崎治)に解説されています。
目次メモは長いのと短いのと二つが残されてあり
はじめに書かれた短いメモにあった4篇は
後で新しく書かれた長いメモから削除されてあったもので
この4篇と合わせた9篇が
「Ⅲ」へ配置されたということです。
◇
詩人は記しました。
わたしの貧しく小さな詩篇も
いつか誰かの哀しみを少しは濯(あら)うこともあるだろうか
◇
どれほど多くの悲しみを
洗い流しているか。
読んだ人に
想像できることです。
詩人は
嵐のような悲しみを
なんとか受けとめて
受け入れてきたのでした。
◇
途中ですが
今回はここまで。
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