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2016年4月27日 (水)

滝口雅子アウトライン特別編/茨木のり子の恋愛詩集「歳月」/「五月」再

 

(前回からつづく)

 

(滝口雅子アウトラインを離れています。)

 

 

 

「私のカメラ」は

1965年発行の詩集「鎮魂歌」に。

 

「笑って」は

1982年発行の詩集「寸志」に。

 

「行方不明の時間」は

2002年発行の「茨木のり子集 言の葉3」に。

 

発表された詩が

初稿と同じものであるとは断定できませんが

発表したその時が

作品の最終制作日(完成日)であるということもできるのですから

この発表の順序に意味はあることでしょう。

 

 

「私のカメラ」には

あなたが登場し

このあなたはYであり

Yは生存中でした。

 

「笑って」で

あちらの世界は

死すれすれまで行って生き返ったひとによって語られますが

それを語ってくれたひとは詩人自身のようです。

 

「行方不明の時間」で

私は透明な回転ドアのこちらにいて

いつでもあの世にさまよい出てしまいかねない

完全な行方不明(=死)と隣り合わせています。

 

この二つの詩に

Yは現れませんが

今読み返せば

あちらの世界に存在する影があります。

 

 

そして詩集「歳月」は

Yの死後に書かれた詩篇ばかりが集められました。

 

ここには

色とりどりのラブソング、

さまざま形の愛の歌が犇(ひし)めいています。

 

遠い日の思い出でありながら

昨日のことのように生々しい恋唄の群れ。

 

Yに宛てたラブレターでありながら

そのYはこの世に不在であり

決して手にすることはない。

 

詩人も存在しないであろう日に

発表されることが想定されて書かれた詩篇の群れ。

 

 

これを詩と名づけるほかにない

――と言わんばかりに

自己主張する詩篇の群れ。

 

詩はそういうものだという

詩人の意志がここにあります。

 

 

もう一度、「五月」を読んでみます。

 

子狐もなしに

――とあるのは

王子界隈に出没した女狐には子があり

その子狐に慰藉される余裕があったのに比べて

自分には助けてくれる子がいないのだという

落語の物語とは別物であることをわざわざ述べたものでしょうか。

 

参ってしまった状態の強調でしょうか。

 

 

どうやら少しの酒で酔いが回ったのか

悲しみに疲労困憊が重なったからか

傷ついた獣のように

一人住まいの居間のソファなぞに横たわってうつらうつらしていると

夜が明けてしまいます

 

少しだけ眠ったようだが

陽がのぼったので

起きなければなりません

やり残したことは沢山あるのだ

 

重い身を起して

少量の水を飲みに立つと

庭の樹木が

風に揺れているのが見える――。

 

 

詩人は詩人自らを描写しています。

 

題名の五月は

夫の逝った日に違いないのですから

その直後に書かれたものでしょう。

 

逝ったその日であるかもしれません。

 

 

Yへのラブソングばかりの「歳月」の冒頭に

詩人自身が昏迷する状態を歌った詩が置かれたのです。

 

あたかも序詩のように。

 

 

五月

 

なすなく

傷ついた獣のように横たわる

落語の<王子と狐>のように参って

子狐もなしに

夜が更けるしんしんの音に耳を立て

あけがたにすこし眠る

陽がのぼって

のろのろ身を起し

すこし水を飲む

樹が風に

ゆれている

 

(花神社「歳月」より。)

 

 

途中ですが 

今回はここまで。 

 

 

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