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2016年4月25日 (月)

滝口雅子アウトライン特別編/茨木のり子の恋愛詩集「歳月」/「笑って」から「五月」へ

(前回からつづく)

(滝口雅子アウトラインを離れています。)

 

 

茨木のり子の夫・三浦安信が死去したのは

1975年のことでした。

 

詩集「歳月」は

その死を悼んだ鎮魂の詩を集めたものですが

死を受け止めようとして書かれた挽歌でもあり

挽歌を書くうちに思い出は広がり

思い出の広がる中には悲しみに襲われ

それをなぐさめようとして鎮魂歌は生まれ

鎮魂歌を書くうちにそれは相聞歌となりました。

 

死者への相聞(ラブソング)というのは

矛盾するようなことですが

思い出を綴るうちに

それが恋唄になり愛の歌になるのは

自然であり必然でもあるのですから

挽歌はまた相聞でもあり得たのです。

 

「歳月」が

稀(まれ)な恋愛詩集である所以(ゆえん)です。

 

 

では、

「歳月」以外の詩集や

詩集未収録詩篇などに

茨木のり子は恋愛詩を書かなかったでしょうか?

 

――と問えば

茨木のり子という詩人の出自にさかのぼる

探求のまなざしで詩をひもときそうになりますから

ここでは深入りしません。

 

「わたしが一番きれいだったとき」の詩人が

青春時代をどのように過ごしたかは

およそ想像はできることでしょう。

 

 

「歳月」を読むのに

詩人の初恋を想像することは

きっと役に立つことでしょう。



その遠回りを

今はしていられません。

 

 

「寸志」は

1982年に発行された詩集ですから

夫・安信の死後のもので

「自分の感受性くらい」(1977年)に次ぎ

詩集としては死後2番目になります。

 

「笑って」は

「寸志」にあります。

 

その冒頭は、

 

ぽっかり明るい世界が むこうに

長い長い隧道(トンネル)のむこうに まあるく

さあ出るのだ

抜け出るのだ

野の花いちめんにゆれにゆれ

風も吹いてていい匂い

光かがようあちらの世界へ

さあ

 

(谷川俊太郎選「茨木のり子詩集」より。)

 

――と書き出されます。

 

「あちらの世界」が

ここで歌われているのです。

 

 

続く第2連は、

 

語ってくれるのは

死すれすれまで行って生き返ったひと

名前を呼ばれ

しつこく呼ばれ

引きもどされて

意識の戻る寸前まで苛々していたの

うるさいわねえ

ポンとひとつ背中を押してくれさえしたら

あちらのほうに行けるのに

ああ 莫迦ン!

 

――とあり、

この語ってくれるひとが

詩人自身であることは明らかです。

 

 

この詩が

Yの思い出に誘発されたものかどうか

それはわかりませんが

「歳月」に入れてもおかしくはないでしょう。

 

「歳月」へ通じる、このような詩は

ほかに見つかるかもしれません。

 

 

茨木のり子の詩に

「死」が初めて現れるのはいつのことだろうか。

 

この問いを抱えながら

「歳月」冒頭の詩「五月」にふたたび辿りつきます。

 

 

「五月」は

Yを歌いません。

 

 

途中ですが

今回はここまで。 

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