滝口雅子アウトライン特別編/茨木のり子の恋愛詩集「歳月」/「笑って」から「五月」へ
(前回からつづく)
(滝口雅子アウトラインを離れています。)
茨木のり子の夫・三浦安信が死去したのは
1975年のことでした。
詩集「歳月」は
その死を悼んだ鎮魂の詩を集めたものですが
死を受け止めようとして書かれた挽歌でもあり
挽歌を書くうちに思い出は広がり
思い出の広がる中には悲しみに襲われ
それをなぐさめようとして鎮魂歌は生まれ
鎮魂歌を書くうちにそれは相聞歌となりました。
死者への相聞(ラブソング)というのは
矛盾するようなことですが
思い出を綴るうちに
それが恋唄になり愛の歌になるのは
自然であり必然でもあるのですから
挽歌はまた相聞でもあり得たのです。
「歳月」が
稀(まれ)な恋愛詩集である所以(ゆえん)です。
◇
では、
「歳月」以外の詩集や
詩集未収録詩篇などに
茨木のり子は恋愛詩を書かなかったでしょうか?
――と問えば
茨木のり子という詩人の出自にさかのぼる
探求のまなざしで詩をひもときそうになりますから
ここでは深入りしません。
「わたしが一番きれいだったとき」の詩人が
青春時代をどのように過ごしたかは
およそ想像はできることでしょう。
◇
「歳月」を読むのに
詩人の初恋を想像することは
きっと役に立つことでしょう。
その遠回りを
今はしていられません。
◇
「寸志」は
1982年に発行された詩集ですから
夫・安信の死後のもので
「自分の感受性くらい」(1977年)に次ぎ
詩集としては死後2番目になります。
「笑って」は
「寸志」にあります。
その冒頭は、
ぽっかり明るい世界が むこうに
長い長い隧道(トンネル)のむこうに まあるく
さあ出るのだ
抜け出るのだ
野の花いちめんにゆれにゆれ
風も吹いてていい匂い
光かがようあちらの世界へ
さあ
(谷川俊太郎選「茨木のり子詩集」より。)
――と書き出されます。
「あちらの世界」が
ここで歌われているのです。
◇
続く第2連は、
語ってくれるのは
死すれすれまで行って生き返ったひと
名前を呼ばれ
しつこく呼ばれ
引きもどされて
意識の戻る寸前まで苛々していたの
うるさいわねえ
ポンとひとつ背中を押してくれさえしたら
あちらのほうに行けるのに
ああ 莫迦ン!
――とあり、
この語ってくれるひとが
詩人自身であることは明らかです。
◇
この詩が
Yの思い出に誘発されたものかどうか
それはわかりませんが
「歳月」に入れてもおかしくはないでしょう。
「歳月」へ通じる、このような詩は
ほかに見つかるかもしれません。
◇
茨木のり子の詩に
「死」が初めて現れるのはいつのことだろうか。
この問いを抱えながら
「歳月」冒頭の詩「五月」にふたたび辿りつきます。
◇
「五月」は
Yを歌いません。
◇
途中ですが
今回はここまで。
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