滝口雅子アウトライン特別編/茨木のり子の恋愛詩「私のカメラ」続々
(前回からつづく)
◇
美は女性の独占であって、男性の美は精神的なものとされてきたが、
男の歩いている後すがた、その肩つきとか、足ののび方とか、頬の線とか、“ひたい“だとか、
女性のあこがれを誘うことは多いのである。
(二見書房「青春の詩集」より。改行を加え、ルビは“ ”で示しました。編者。)
◇
「私のカメラ」の第6、7連の
木洩れ陽のしたで笑うあなた
波を切る栗色の眩しいからだ
煙草に火をつける 子供のように眠る
蘭の花のように匂う 森ではライオンになったっけ
――というような詩行を
滝口雅子は女性が歌った男性美の例として読みました。
男の精神的なものだけでなく
身体(肉体)の形や動きや匂いまでもが
女性のあこがれの対象になるという方法は
滝口自らが実作してきた詩の作法でもありましたから
強く惹かれるものがあったのでしょう。
両者の詩がクロスするところです。
滝口雅子は
「私のカメラ」の、
蘭の花のように匂う 森ではライオンになったっけ
――の1行に
とりわけ注目したに違いありませんが
それに突っ込んでは触れませんでした。
象徴的に歌われたエロスを
それ以上分析し解剖する作業を
敢えて踏みとどまった様子です。
◇
代わりに、滝口雅子は、
男性と女性とは二人そろったときが、やはり一番美しい。いくら美しい男だけが揃って集っていても、さ
びしいのである。それに、女ばかりが、どんなに晴れやかに明るく笑っていても、やはり大切なものが足
りないのである。(同。)
――と続けます。
そして、
男は女のために、女は男のために存在するのだと思う。男がひとりで、椅子にかけて本をよんでいるの
もすてきであるが、どこかに、その男のために存在している女がいればこそであろう。(同。)
――と結びました。
◇
本を読んでいる男は
ドラム罐の腰の男(「男S」)と同列でありましょう。
◇
女性の美しさをとことん描いたロレンスを案内した次に
滝口雅子は「私のカメラ」を配置しました。
女性美礼賛の後に
茨木のり子のこの詩が案内されたのですから
男の美しさはよりいっそう官能的であることが予感されるように。
「私のカメラ」に
どことはなく漂う官能を嗅ぎとるように。
◇
しかし、よく考えれば
この詩自体は
詩行通りに
「だあれもしらない」秘密が歌われているのです。
この詩の相手である「あなた」も知らない。
この詩が作られたその時
詩人しか知らない秘密なのです。
詩に歌われて
それが公表されて
相手に知られたということはあっても。
◇
茨木のり子が亡くなって1年後の2007年、
詩集「歳月」が遺族によって刊行されます。
中には「あなた」を歌った詩が多く集められ
それはまぎれもなく
「私のカメラ」に繋がる恋唄の一群でした。
◇
途中ですが
今回はここまで。
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