滝口雅子アウトライン特別編/茨木のり子の恋愛詩集「歳月」/「部分」
(前回からつづく)
(滝口雅子アウトラインを離れています。)
Yの思い出は
像(イメージ)として
どのように描かれているでしょうか。
◇
たとえば「四面楚歌」に、
四面楚歌 項羽ほろぶるのとき
窈窕(ようちょう)たる虞美人を
どうしたものかと千々にこころ乱るるのうた
お酒に酔っていい御機嫌
先生の声色よろしく二度ばかり
くちずさんだのを聞いている
たとえば「最後の晩餐」に、
箸をとりながら
「退院してこうしてまた
いっしょにごはんを食べたいな」
子供のような台詞にぐっときて
泣き伏したいのをこらえ
たとえば「月の光」に、
ある夏の
ひなびた温泉で
湯あがりのあなたに
皓々の満月 冴えわたり
(略)
いまも
目に浮ぶ
蒼白の光浴びて
眠っていた
あなたの鼻梁
頬
浴衣
素足
……などとあるのを読んできて
次の詩にぶつかります。
◇
部分
日に日を重ねてゆけば
薄れてゆくのではないかしら
それを恐れた
あなたのからだの記憶
好きだった頸すじの匂い
やわらかだった髪の毛
皮脂滑らかな頬
水泳で鍛えた厚い胸郭
π字型のおへそ
ひんぴんとこぶらがえりを起したふくらはぎ
爪のびれば肉に喰いこむ癖あった足の親指
ああ それから
もっともっとひそやかな細部
どうしたことでしょう
それら日に夜に新たに
いつでも取りだせるほど鮮やかに
形を成してくる
あなたの部分
(花神社「歳月」より。)
◇
一つ屋根の下で暮らした相手の
肉体の細部の記憶の
その一つ一つが
目の前に飛び込んでくるように
宝物のように描かれます。
◇
このようにブローアップされた像は
「町角」では、
日ごと夜ごと
顔見合わせている
古女房なのに
なぜあんなにもいそいそと
うれしそうに歩いてきたのか
姿をみつけると
こちらが照れるほどに
笑いながら
あちらこちらの町角に
ちらばって
まだ咲いている
あなたの笑顔
(以下略)
――と一歩を引いた地点から描写されます。
待ち合わせの場面です。
◇
時に接写し
時に近距離で
時に遠くの方にYはいますが
これらの像(肉体)は今、
すべてが幻(まぼろし)であることを
この詩を書いているそばから
詩人は思い知るしかありません。
◇
「恋唄」が
こうして歌われます。
◇
途中ですが
今回はここまで。
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