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2016年5月19日 (木)

滝口雅子を知っていますか?/第1詩集「蒼い馬」へ・その1最終詩「女のひとは」

(前回からつづく)

 

 

一人暮らしをしていた茨木のり子が

東京・東伏見の自宅で死んだのは2006年2月。

享年79歳。

誕生は1926年(大正15年)6月でした。

 

滝口雅子は

2002年11月、東京・調布の病院で

義理の姪に看取られて亡くなりました。

享年84歳。

誕生は1918年9月でした。

 

茨木のり子は「現代詩の長女」(新川和江)と呼ばれたのですから

8歳年上の「義理の姉」がいたことになります。

 

 

8歳違うのですから

「8・15」の迎え方もかなり違っていたであろうことが推測されます。

 

滝口雅子の1945年を年譜で見てみると、

 

1945年(昭和20年)

時々上京して友人宅に泊る。5月25日夜の大空襲で、泊っていた友人の家が全焼する。翌朝、交通が

とだえて、死体が重なる道を、東中野から上野まで歩いて帰る。

――などとあります。

(新・日本現代詩文庫21「滝口雅子詩集」より。)

 

もうすぐ27歳になるという日でした。

 

 

茨木のり子の8・15は、19歳でした。

 

年譜(谷川俊太郎選「茨木のり子詩集」)では、

 

学徒動員で、当時、世田谷区上馬にあった海軍療品廠で就業中、敗戦の放送を聞く。翌日、友人と二

人、東海道線を無賃乗車で、郷里に辿りつく。

――とあります。

 

 

滝口雅子の消息については

明らかになっている情報が極めて乏しいため

敗戦の日に滞在していた友人とどのような関係にあったのか

何をしていたのかなど詳しくはわかりませんが

東中野にいたという事実だけでも

茨木のり子の世田谷・上馬とは遠からざる場所であり

妙に不思議なもの(縁=えにし)を感じてしまいます。

 

まったく面識も関係もない二人は

やがて詩を介した小さな集まりで巡りあうことになるのですから

軌道の異なる惑星が

何年に1度か何十年に 1度か

あるいは何百年に1度かすれ違うようなことで驚かざるを得ません。

 

敗戦日の意識の異なりよう以上に

目に見えない共通項がたくさんあったのではないかと想像を逞(たくま)しくしてしまいます。

 

 

やはり、詩を読みましょう。

 

第1詩集「蒼い馬」の最終詩が見つかりました。

 

東中野から上野まで歩いて帰る

――と年譜1945年の項にあった詩人の内部に

かなり近くにある詩の一つのはずです。

 

 

女のひとは

 

 女のひとは ひとりで何を見ただろう。熱い霧がたちこめて大きな太陽がすばやくめぐった太古世代か

ら、ななめにかぶった帽子のつばの影が、女のひとの頬にうつっていたろう。暗いはちゅう類の中生代、

森林のなかのかなしいせいぶつのうめきも女のひとは知っていたろう。アンデス山系やパミール高原の

上昇する気流をいつも呼吸して、長い時間だった。さびしいことも忘れさせた。

 沼地の上にもゴシックの尖塔がそびえ、森のなかで化石が層をなす長い長い時間。女のひとは知って

いた。熱砂のふる太古の宇宙に遠のく星たちを生み、何億万年の年れいを忘れて、ふしぎにもえつづけ

る。頬におちる女のひとの帽子のかげが、静かに地表をうごき、<近代>がもたらす感情の苦しいと

き、女のひとを吹きぬける太古世代の風の音――

 一九四七年五月 青い麦の田野に女のひとは、ひとりで何を思うだろう。

 

(新・日本現代詩文庫21「新編 滝口雅子詩集」より。)

 

 

長い長い時間。

 

この詩が生まれるまでにかかった時間でもありそうです。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

 

 

 

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