滝口雅子アウトライン特別編/茨木のり子の恋愛詩集「歳月」/「(存在)」
(前回からつづく)
(滝口雅子アウトラインを離れています。)
矛盾の門の一方を歌った
「その時」や「獣めく」のような
肉体(生)の記憶をあつかった詩の一群があり
一方に、
エロス(肉体)が限りなく希薄になり
ついには肉体のない世界(死)が歌われる一群もあります。
◇
(存在)
あなたはもしかしたら
存在しなかったのかもしれない
あなたという形をとって 何か
素敵な気(き)がすうっと流れただけで
わたしも ほんとうは
存在していないのかもしれない
何か在りげに
息などしてはいるけど
ただ透明な気(き)と気(き)が
触れあっただけのような
それはそれでよかったような
いきものはすべてそうして消えて失せてゆくような
(花神社「歳月」より。)
◇
愛するもの同士が
気(もの)と化してしまう状態――。
恋する相手を失って
あたかも初恋のような
肉体のない世界が取り戻されたのでしょうか。
そうであるならば
初々しく瑞々(みずみず)しくピュアであった
青春の輝きに満ちた世界であるところなのに
ここにあるのは
行く先の死を遠くから見ているような
宇宙から地球の摂理をながめているような
深い諦めのようなものが底にあります。
◇
この詩は
タイトルがつけられていなかった作品であるため
( )で仮題が示されました。
「ひとり暮らし」に、
今はじめて 生まれてはじめて一人になって
ひとり暮らし十年ともなれば
宇宙船のなか
あられもなく遊泳の感覚
さかさまになって
宇宙食噛るような索漠の日々
手鏡をひょいと取れば
そこには
はぐれ猿の顔
――とあり、
「梅酒」に、
後に残るあなたのことばかり案じてきた私が
先に行くとばかり思ってきた私が
ぽつんと一人残されてしまい
――などとある寂寥とは
異なる領域に踏み込んでいる詩であり
タイトルをつけかねていたのかもしれません。
◇
「急がなくては」は、
あなたのもとへ
急がなくてはなりません
あなたのかたわらで眠ること
ふたたび目覚めない眠りを眠ること
それがわたくしたちの成就です
――と「成就」を歌い
この成就に近い世界なのかもしれません。
「急がなくては」では
恋する心はもはや
死者と同一化の願いを歌っています。
不在の相手との同一化の願いが
死でも生でもない
気体と気体との交流として歌われる「(存在)」が
ここ「急がなくては」では、
死者への同化によって完成(成就)します。
◇
ここまでくると
矛盾の門は
どこか遠いところの世界へ退いたのでしょうか。
矛盾に満ちた生存は
存在するのかしないのか
はっきりしない「在り気」な存在になります。
◇
愛の歌は
死を思い
死を思索する詩になります。
詩集「歳月」は
こうして愛の詩の深みを切り開いていきます。
◇
途中ですが
今回はここまで。
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