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2016年6月

2016年6月29日 (水)

折にふれて読む中原中也の名作/小林秀雄選の「詩四編」

「夜明け」は、

第1行の、

夜明けが来た。雀の声は生唾液(なまつばき)に似ていた。

――と最終2行の、

《えー……今日はあれとあれとあれと……?………》

脣(くち)が力を持ってくる。おや、烏(からす)が鳴いて通る。

――とが生命線です。

 

ここに詩(人)のこころがあります。

 

脣(くち)が力を持ってくる。

――を読み過ごしては

この詩の意義はつかまえられません。

 

 

「朝」は、冒頭3行の、 

雀の声が鳴きました

雨のあがった朝でした

お葱(ねぎ)が欲しいと思いました

――に詩(人)の動機があります。

 

「夜明け」も「朝」も

暗黒ばかりではなく

悲しみばかりではなく

生存への意欲や自覚や喜びの

わずかばかりであるかのような欲求が表明されますし、
「朝」の肝(きも)は
お葱(ねぎ)が欲しいと思いました

――という部分ですから

これを読み過ごしてはいけません。

 

 

「昏睡」は、

第2連、

何ももう要求がないということは

もう生きていては悪いということのような気もする

それかと云(い)って生きていたくはある

それかと云って却に死にたくなんぞはない

――のうちの後半行、

それかと云(い)って生きていたくはある

それかと云って却に死にたくなんぞはない

――に詩(人)のいのちがあります。

 

この2行が欠けていたならば

この詩は成り立ちません。

 

 

「いちじくの葉」は、

二つの詩ともに

末行に詩のいのちがあることは先に触れました。

 

どちらの「いちじくの葉」も

バイタルなものの源泉とか

希望に似た響きが歌われています。

 

この4作(5作)を繋げているのは

いのちへのウイ(肯定)です。

 

 

「狂気の手紙」は

いのちへのウイがあふれるばかりに歌われていて

これらの詩に繋がっていますが

小林秀雄は「創元」への発表を控えました。

 

おそらく

タイトルを嫌ったからでしょうが

控えただけのことです。

 

代わりに「いちじくの葉」を選んだのも

炯眼(けいがん)というほかにありません。

 

 

ここで「詩四編」ともう一つの「いちじくの葉」を

一堂に会しておきましょう。

 

 

いちじくの葉

 

いちじくの、葉が夕空にくろぐろと、

風に吹かれて

隙間(すきま)より、空あらわれる

美しい、前歯一本欠け落ちた

おみなのように、姿勢よく

ゆうべの空に、立ちつくす

 

――わたくしは、がっかりとして

わたしの過去の ごちゃごちゃと

積みかさなった思い出の

ほごすすべなく、いらだって、

やがては、頭の重みの現在感に

身を托(たく)し、心も托し、

 

なにもかも、いわぬこととし、

このゆうべ、ふきすぐる風に頸(くび)さらし、

夕空に、くろぐろはためく

いちじくの、木末(こずえ) みあげて、

なにものか、知らぬものへの

愛情のかぎりをつくす。

 

 

いちじくの葉

 

夏の午前よ、いちじくの葉よ、

葉は、乾いている、ねむげな色をして

風が吹くと揺れている、

よわい枝をもっている……

 

僕は睡(ねむ)ろうか……

電線は空を走る

その電線からのように遠く蝉(せみ)は鳴いている

葉は乾いている、

風が吹いてくると揺れている

葉は葉で揺れ、枝としても揺れている

 

僕は睡ろうか……

空はしずかに音く、

陽は雲の中に這入(はい)っている、

電線は打つづいている

蝉の声は遠くでしている

懐しきものみな去ると。

       (1933・10・8)

 

 

昏 睡

 

亡びてしまったのは

僕の心であったろうか

亡びてしまったのは

僕の夢であったろうか

記臆というものが

もうまるでない

往来を歩きながら

めまいがするよう

 

何ももう要求がないということは

もう生きていては悪いということのような気もする

それかと云(い)って生きていたくはある

それかと云って却に死にたくなんぞはない

 

ああそれにしても、

諸君は何とか云ってたものだ

僕はボンヤリ思い出す

諸君は実に何かかか云っていたっけ

       (1934・4・22)

 

 

夜明け

 

夜明けが来た。雀の声は生唾液(なまつばき)に似ていた。

水仙(すいせん)は雨に濡(ぬ)れていようか? 水滴を付けて耀(かがや)いていようか?

出て、それを見ようか? 人はまだ、誰も起きない。

鶏(にわとり)が、遠くの方で鳴いている。――あれは悲しいので鳴くのだろうか?

声を張上げて鳴いている。――井戸端(いどばた)はさぞや、睡気(ねむけ)にみちている

であろう。

槽(おけ)は井戸蓋の上に、倒(さかし)まに置いてあるであろう。

御影石(みかげいし)の井戸側は、言問いたげであるだろう。

苔(こけ)は蔭(かげ)の方から、案外に明るい顔をしているだろう。

御影石は、雨に濡れて、顕心的(けんしんてき)であるだろう。

鶏(とり)の声がしている。遠くでしている。人のような声をしている。

おや、焚付(たきつけ)の音がしている。――起きたんだな――

新聞投込む音がする。牛乳車(ぐるま)の音がする。

《えー……今日はあれとあれとあれと……?………》

脣(くち)が力を持ってくる。おや、烏(からす)が鳴いて通る。

          (1934・4・22)

 

 

 

雀の声が鳴きました

雨のあがった朝でした

お葱(ねぎ)が欲しいと思いました

 

ポンプの音がしていました

頭はからっぽでありました

何を悲しむのやら分りませんが、

心が泣いておりました

 

遠い遠い物音を

多分は汽車の汽笛(きてき)の音に

頼みをかけるよな心持

 

心が泣いておりました

寒い空に、油煙(ゆえん)まじりの

煙が吹かれているように

焼木杭(やけぼっくい)や霜(しも)のよう僕の心は泣いていた

                        (1934・4・22)

 

(「新編中原中也全集 第2巻・詩Ⅱ」より。新かなに変えました。編者。)

 

2016年6月28日 (火)

折にふれて読む中原中也の名作/「朝(雀の声が鳴きました)」

 

 

小林秀雄の1946年は

母堂の死去

「新日本文学」による戦争責任の追及のはじまり

明治大学教授を辞任

水道橋駅ホームからの転落事故

……など身辺ただならぬ事態に立て続けに見舞われた年です。

 

「モオツアルト」は

そのような日々に追われる7月に書かれたことが

新潮文庫「モオツアルト・無常ということ」の解説(江藤淳)に記されています。

 


 
「創元」の1946年12月号に

この「モオツアルト」と

中原中也の「詩四編」とが掲載されたのです。
 

 

「モオツアルト」と中原中也の「詩四編」とが

なんらかの内(在)的関係にあるとかないとか

そのような大それた分析を試みるつもりは

毛頭ありません。

 

両者は

文学雑誌「創元」の1946年12月号に

同時に発表されたという関係以上のものではなく

これまでに関係を言及されたことはありません。

 

けれども

中原中也はこの時に生存しておらず

故人である詩人の作品の掲載を決めたのは

小林秀雄でした。

 

4編の詩を選択したのも小林秀雄でしたから

これほどの強い関係を無関係というのも

あまりに不自然です。

 

このことについての実証的研究は

研究者に委ねることにしましょう。

 

 

ここでは

このあたりのことを踏まえながら

4編の詩のすべてにとにかく目を通すことにしましょう。

 

最後に残されたのは「朝」です。

 

 

 

雀の声が鳴きました

雨のあがった朝でした

お葱(ねぎ)が欲しいと思いました

 

ポンプの音がしていました

頭はからっぽでありました

何を悲しむのやら分りませんが、

心が泣いておりました

 

遠い遠い物音を

多分は汽車の汽笛(きてき)の音に

頼みをかけるよな心持

 

心が泣いておりました

寒い空に、油煙(ゆえん)まじりの

煙が吹かれているように

焼木杭(やけぼっくい)や霜(しも)のよう僕の心は泣いていた

                        (1934・4・22)

 

(「新編中原中也全集 第2巻・詩Ⅱ」より。新かなに変えました。編者。)

 

 

これで「創元」に載った「詩四編」のすべてに

目を通したことになります。

 

2016年6月27日 (月)

折にふれて読む中原中也の名作/「夜明け」

戦後すぐの1946年12月に 


小林秀雄は自ら編集責任のポストにあった季刊誌「創元」に


「モオツアルト」を発表しました。


 

この「創元」に


中原中也の詩4作が載りました。

 


その4作が


「いちじくの葉(夏の午前よ、いちじくの葉よ)」


「朝(雀の声が鳴きました)」 


「昏睡」


「夜明け」


――です。 


 

選んだのは


もちろん小林秀雄でした。

(詩篇の選択に、青山二郎らの意見が取り入れられたことを否定できませんが。) 


 


 

4作のうちの「いちじくの葉」を除く3作は


1934
年4月22日の日付をもつ作品です。


 

同日の制作に


「狂気の手紙」がありますが


小林秀雄はこれを採らず


「いちじくの葉」を選びました。


 

4作はいずれも


詩人生存中には未発表でしたから


制作者校閲を経過しない没後発表作品ということになります。

 

 


 

よい機会ですから


これらの詩に目を通しておきましょう。 


 

今回は「夜明け」です。

 

 


 

夜明け

 

 

夜明けが来た。雀の声は生唾液(なまつばき)に似ていた。


水仙(すいせん)は雨に濡(ぬ)れていようか? 水滴を付けて耀(かがや)いていようか?


出て、それを見ようか? 人はまだ、誰も起きない。


鶏(にわとり)が、遠くの方で鳴いている。――あれは悲しいので鳴くのだろうか?


声を張上げて鳴いている。――井戸端(いどばた)はさぞや、睡気(ねむけ)にみちている

であろう。


槽(おけ)は井戸蓋の上に、倒(さかし)まに置いてあるであろう。


御影石(みかげいし)の井戸側は、言問いたげであるだろう。


苔(こけ)は蔭(かげ)の方から、案外に明るい顔をしているだろう。


御影石は、雨に濡れて、顕心的(けんしんてき)であるだろう。


鶏(とり)の声がしている。遠くでしている。人のような声をしている。


おや、焚付(たきつけ)の音がしている。――起きたんだな――


新聞投込む音がする。牛乳車(ぐるま)の音がする。


《えー……今日はあれとあれとあれと……?………》


脣(くち)が力を持ってくる。おや、烏(からす)が鳴いて通る。


          (1934・4・22)


(「新編中原中也全集 第2巻・詩Ⅱ」より。新かなに変えました。編者。)

 

2016年6月24日 (金)

折にふれて読む中原中也の名作/「昏睡」

 

 

 

いちじくの枝ぶりのシルエットを、

 

美しい、前歯一本欠け落ちたおみなが

姿勢よく、ゆうべの空に、立ちつくす

――と見立てたメタファーの見事なこと!

 

夕空の「いちじくの葉」の読みどころはしかし、

 

わたしの過去の ごちゃごちゃと

積みかさなった思い出の

ほごすすべなく、いらだって、

――というあたりの暗澹(あんたん)を

なにもかも、いわぬこととし、

――という気持ちに方向転換して

そそぐべき愛情を見定めているところにあるでしょう。

 

 

「いちじくの葉」は

不気味で暗澹たるものの描写であるよりも

詩人が力づけられていく
源泉のようなものの世界と読むことができるでしょう。

 

名作「曇天」に連なるような。

 

 

もう一つの「いちじくの葉」は

1946年(昭和21年)になって

季刊誌「創元」に

「昏睡」「夜明け」「朝」とともに

「詩(四編)」として発表されましたが

この4編が繋がりを持っていることを読んだのは小林秀雄でした。

 

それはやはり炯眼(けいがん)というべきでしょう。

 

 

昏 睡

 

亡びてしまったのは

僕の心であったろうか

亡びてしまったのは

僕の夢であったろうか

記臆というものが

もうまるでない

往来を歩きながら

めまいがするよう

 

何ももう要求がないということは

もう生きていては悪いということのような気もする

それかと云(い)って生きていたくはある

それかと云って却に死にたくなんぞはない

 

ああそれにしても、

諸君は何とか云ってたものだ

僕はボンヤリ思い出す

諸君は実に何かかか云っていたっけ

       (1934・4・22)

 

(「新編中原中也全集 第2巻・詩Ⅱ」より。新かなに変えました。編者。)

 

 

この詩の末行の

諸君は実に何かかか云っていたっけ

――の「何かかか」は

誤記とも誤植とも指摘されないまま発表されます。

 

それはこの詩が制作者没後に発表され

「創元」の編集責任者であった小林秀雄の考えを反映しているからのようです。

 

 

2016年6月21日 (火)

折にふれて読む中原中也の名作/「いちじくの葉」二つ

 

それぞれ午前と夕方のいちじくの葉をモチーフにした

二つの「いちじくの葉」は

似ていないようで

どうしようもなく似ているところのある詩です。

 

23歳制作の夕方のと

26歳制作の午前のとを並べて読んでみましょう。

 

 

いちじくの葉

いちじくの、葉が夕空にくろぐろと、

風に吹かれて

隙間(すきま)より、空あらわれる

美しい、前歯一本欠け落ちた

おみなのように、姿勢よく

ゆうべの空に、立ちつくす

 

――わたくしは、がっかりとして

わたしの過去の ごちゃごちゃと

積みかさなった思い出の

ほごすすべなく、いらだって、

やがては、頭の重みの現在感に

身を托(たく)し、心も托し、

 

なにもかも、いわぬこととし、

このゆうべ、ふきすぐる風に頸(くび)さらし、

夕空に、くろぐろはためく

いちじくの、木末(こずえ) みあげて、

なにものか、知らぬものへの

愛情のかぎりをつくす。

 

 

いちじくの葉

 

夏の午前よ、いちじくの葉よ、

葉は、乾いている、ねむげな色をして

風が吹くと揺れている、

よわい枝をもっている……

 

僕は睡(ねむ)ろうか……

電線は空を走る

その電線からのように遠く蝉(せみ)は鳴いている

葉は乾いている、

風が吹いてくると揺れている

葉は葉で揺れ、枝としても揺れている

 

僕は睡ろうか……

空はしずかに音く、

陽は雲の中に這入(はい)っている、

電線は打つづいている

蝉の声は遠くでしている

懐しきものみな去ると。

       (1933・10・8)

(「新編中原中也全集 第2巻・詩Ⅱ」より。新かなに変えました。編者。)

 

詩の末行だけを取り出して比べることを

この場合許されるでしょう。

 

いちじくの、木末(こずえ) みあげて、

なにものか、知らぬものへの

愛情のかぎりをつくす。

――という3行の中の

「知らぬもの」と、

蝉の声は遠くでしている

懐しきものみな去ると。

――という2行の中の

「懐しきもの」とに

なんらかのヒントがありやしないか。

 

どちらも「結語」の役を負っていて

ここに似ているような似ていないようなものがあります。

 

 

夕方の「いちじくの葉」では

「知らぬもの」は

得体のしれない

未知の何ものかであり

この何ものかに対して

沸々(ふつふつ)と沸き起こって来るものは愛情です。

 

 

いっぽう、

午前の「いちじくの葉」の「懐しきもの」は

みんな過ぎ去っていく。

いちじくの葉もろとも

風と共に

電線と共に

蝉の声と共に

過ぎ去っていく

――いっそすがすがしい力になっている。

 

 

どちらの「いちじくの葉」も

どこかしら

バイタルなものの源泉であるような

どこかしら

希望に似た響きを帯びているようです。

 

 

2016年6月20日 (月)

折にふれて読む中原中也の名作/もう一つの「いちじくの葉」

いちじくの葉

電線

……と僕の「こころ」が

繋(つな)がっているようです。

 

電線から蝉の声が聞こえてくるところで

すべてが繋がってしまうのですね。

 

繋がって

すべてが揺れています。

 

そのうえ、いちじくは

葉が葉として揺れ

枝としても揺れています。

 

 

ではなぜ

僕は眠ろうか……とするのでしょうか?

 

眠りを誘うような風景では

微塵(みじん)もないのに。

 

 

この疑問こそ

この詩を味わうきっかけです。

 

夏の午前の、いちじくの葉の

乾いた、眠そうな色の

弱い枝が揺れている――。

 

それを見ている詩人の眼差しは

空に向かい

電線をとらえ

蝉声を聞き……

 

陽は雲に隠れて

静かに「昏い」世界を

一瞬にして呼び起こすのです。

 

 

「音く」とある誤記(誤植)を

「昏(くら)く」と読んで

「いちじくの葉」の詩世界の

不気味な(?)生命力みたいなものへ

立ち入っていくことが可能でしょう。

 

 

「いちじくの葉」は

夏の午前を歌ったこの詩のほかに

夕方の「いちじくの葉」を歌った詩があり

両作品は対照的なようで似ています。

 

 

いちじくの葉

 

いちじくの、葉が夕空にくろぐろと、

風に吹かれて

隙間(すきま)より、空あらわれる

美しい、前歯一本欠け落ちた

おみなのように、姿勢よく

ゆうべの空に、立ちつくす

――わたくしは、がっかりとして

わたしの過去の ごちゃごちゃと

積みかさなった思い出の

ほごすすべなく、いらだって、

やがては、頭の重みの現在感に

身を托(たく)し、心も托し、
 

なにもかも、いわぬこととし、

このゆうべ、ふきすぐる風に頸(くび)さらし、

夕空に、くろぐろはためく

いちじくの、木末(こずえ) みあげて、

なにものか、知らぬものへの

愛情のかぎりをつくす。

 

(「新編中原中也全集 第2巻・詩Ⅱ」より。新かなに変えました。編者。)

 

 

こちらは

1930年(昭和5年)秋の制作と考えられています。

中也は23歳です。

 

 

 

 

 

 

 

2016年6月19日 (日)

折にふれて読む中原中也の名作/「いちじくの葉」

酷熱の夏日がやってくる前に

強い風が吹く雨の合間の曇り日が続きますが

この日々の爽快さは梅雨の恵みの一つなのに

はやく青天になってくれと炎熱日を願うのは

凡人の身勝手というものでしょうか。

 

もっと今=現在を感謝して生きればよいものを!

――なんて、自らを戒めます。

 

炎熱無風にくらべたら

今の爽快な気候を

ありがたく感じられないのは

野分(台風)のありがたさが感じられないのと似ていますね。

(無論、台風が惨禍を残すことは承知の上での話です。)

 

 

蝉(せみ)はまだ鳴きはじめませんが

いちじくの葉はぐんぐん茂り

風は電線を揺らす時が今日もあります。

 

中原中也は

自然を凝視(ぎょうし)しながら

今、その時に湧き上がる悲しみを歌います。

 

 

いちじくの葉

 

夏の午前よ、いちじくの葉よ、

葉は、乾いている、ねむげな色をして

風が吹くと揺れている、

よわい枝をもっている……

 

僕は睡(ねむ)ろうか……

電線は空を走る

その電線からのように遠く蝉(せみ)は鳴いている

葉は乾いている、

風が吹いてくると揺れている

葉は葉で揺れ、枝としても揺れている

 

僕は睡ろうか……

空はしずかに音く、

陽は雲の中に這入(はい)っている、

電線は打つづいている

蝉の声は遠くでしている

懐しきものみな去ると。

       (1933・10・8)

 

(「新編中原中也全集 第2巻・詩Ⅱ」より。新かなに変えました。編者。)

 

 

1933年(昭和8年)制作。

中也26歳です。

 

 

 

 

 

 

 

2016年6月12日 (日)

滝口雅子を知っていますか?/タイトル詩「蒼い馬」を読む

(前回からつづく)

 

 

 

 

 

詩集のタイトル詩を読む準備が

大方、整いました。

 

詩集「蒼い馬」には

29の詩篇が収められています。

 

数えて10番目に「蒼い馬」は配置されています。

 

滝口雅子という詩人のアウトラインを

ざっとつかむことができたので

第1詩集のタイトル詩「蒼い馬」は近くにあります。

 

 

蒼い馬

 

沈んだつぶやきは 海の底からくる

水のしわをすかして見える一匹の馬の

盲いたそのふたつの目

かってその背中に

人をのせた記憶さえうすれて

海底を行く一匹の蒼い馬

馬はいつから 海に住むか

背なかに浴びた血しぶきは

自分のものだったか

誰のだったか

何の気取りもなく 片脚で

からみつく海藻を払いながら行く

盲いた馬の目は ひそかに

海のいろよりも

遠くさびしい藍色を加え

傷ついた脇腹からしみ出る血は

海水に洗われ

水から水へ流されて――

 

秋になると

海面にわき上るつめたい濃霧

そのとき 海底の岩かげに

馬はひとり脚を折ってうずくまる

つめたさに耐えて

待つことに耐えて

 

(土曜美術社「滝口雅子全詩集」より。)

 

 

冒頭、

沈んだつぶやきは 海の底からくる

――のつぶやきは誰のものだろうという疑問は

全行を一通りなぞれば

すぐさま詩の主格である馬のものであることがわかるでしょう。

 

読者はいきなり

馬のつぶやきを聞く位置に立たされますが

そのつぶやきが海の底からくるものであっても

すでにそこ=海の底にいます。

 

海の底にいて

水の皺(しわ)の向こうに1頭の馬がいるのをとらえ

その馬の盲いた二つの目をとらえることができます。

 

詩は難解というものではなく

比較的、平易な言葉で作られていますから

詩の中へいつのまにか入り込んでいます。

 

 

なぜ馬が海の底に住んでいるのだろう?

 

そのように問うても

理由を詩(行)の中に見つけることはできません。

 

馬はかつて背中に人を乗せた記憶さえ薄れていて

いつから海に住んでいるのか

背中の血しぶきが自分のものなのか

誰かほかの人のものなのかをも思い出せないのですから。

 

 

なにがしかの事件が起きたのは

遠い過去のことなのかもしれませんし

つい最近のことなのかもしれませんし

現在も起きていることなのかもしれません。

 

盲いた目の理由を

読者は想像するしかありませんが

しかし……。

 

 

何の気取りもなく

海藻を片方の脚で

払い除(の)けながら進んでいるのです。

 

何の気取りもなく

――というのは

必死な気配すらなく

――というほどの意味合いでしょうか。

 

だから、必死でないということではないのでしょうが。

 

からみつく海藻を振り払うしぐさが

自然で

厄介な障害物に抗(あらが)っている風でなく

だから、抗っていないというわけではないのでしょうが

見えない目が

海の藍色よりも

遠くさびしい藍色を湛(たた)えています。

 

脇腹からにじみ出る血は

苛烈な事件の痕跡を物語るのですが

詩(行)は、

血が海水に洗われ

流され続けていることだけを追います。

 

 

やがて季節はめぐり

海面に冷たい濃霧の湧き上がる秋が訪れると

海底の岩陰に

馬は脚を折ってうずくまっています。

 

冷たさに耐えて

待つことに耐えて。

 

 

海の底にすむ

盲いた、傷ついた馬が

海藻を掻き分けゆっくりと歩んでいる

 

秋になれば

やがて来るべき冬へそなえて

じっと耐える姿勢になる

――というシンプルなストーリーが語られるだけの詩行でありながら

色々なことを語っている

不思議な魅力のある詩です。


 

いったいその不思議さ、魅力はどこから生まれているのでしょう。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

 

 

 

 

 

 

2016年6月 6日 (月)

滝口雅子を知っていますか?/「蒼い馬」へ/「歴史 Ⅱ やさしさがかくれる」その2

(前回からつづく)

 

 

 

背を向けたまま延びてくる手のぬくみが

僅かに優しさのしるしであり

それもつかの間で薄れるきびしさがくる

われらは夜の 夜明けの前の

暗さのなかに息たえる

息たえることで歴史のなかに生れるのだと

きびしさのかげに やさしさがかくれる

 

(「新編滝口雅子詩集」より。)

 

 

これは「歴史」の「Ⅱ やさしさがかくれる」の第2連です。

 

一見、何が書かれてあるのか戸惑う人は多いことでしょう。

 

背を向けたまま延びてくる手

――とは何だろう。

 

なにやら、

後手(うしろで)の格好で

手が差し出される状態が歌われているが

それはどのような状況なのか、ピンときません。

 

詩の全体から捉えなおさないと

分からないような詩語です。

 

単に、詩だけでなく

詩の外にある詩人の経験を動員しないと

理解できない詩語かもしれない。

 

こういう場合は、

とりあえず字義通りの解釈を試みておきます。

 

前にいるその人が後手を延ばしていて

そのぬくもりを感じている主体は

詩の作者しか見当たりません。

 

 

もう一つ。

 

息たえることで歴史のなかに生れるのだと

――という詩行は、

死そのことを指示しているのか

パラドクスを示すのか

くたびれて眠りにつくことを意味しているのか

いずれにしても、

苛烈(かれつ)な状態(状況)の詩的表現であることが想像されます。

 

歴史はきびしく

きびしさのなかにやさしさはかくれるのですが

かくれるのであって

死に絶えることではない。

 

きびしさ(苛烈な状態)は続く。

しかし――。

 

 

片ときも眠ることなく 眠らせぬ未来の

呼びかけに応えて つき進むことが

生きるしるしであると

はるかな海の水平線に向ってひいていく潮の

光りがひいていくと見えながら

一層深まる暁の星のやさしさよ

 

――と第3連へ続いて

「Ⅱ やさしさがかくれる」は閉じます。

 

 

夜の暗闇を通じた夜明け前の

すぐにはしかし明けない夜明けの

水平線に向って引いていく潮(うしお)の光は

消えていきそうだけれども

暁(あかつき)に輝いている星よ。

 

星のやさしさよ。

 

 

暗黒に近い世界を歌っているようでありながら

詩に暗さはありません。

 

この詩(人)の

大きな特徴がここにあります。

 

 

第2連の

背を向けたまま延びてくる手は

どのような状況を示しているのかという問いは

ここにきては詮索(せんさく)する必要もないことに気づくでしょう。

 

その手が

ぬくみとして感じられていることを読めば十分ですから。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

2016年6月 2日 (木)

滝口雅子を知っていますか?/「蒼い馬」へ/「歴史 Ⅱ やさしさがかくれる」その1

(前回からつづく)

 

 

 

 

「歴史」前半部「Ⅰ 海への支度」の中に、

 

退いてきた水の瞳は灰色に洗いさらされ

――という行や

 

水のすがたにしみている水の思い出

――という行や

 

底で光りうめきながら月の形を抱きながら

――などの行のような独特の表現が挟まれています。

 

目を凝らして読み

よく咀嚼(そしゃく)して味わいたいところ(細部)です。

 

 

「水の瞳」はしかし、水の瞳です。

 

「水のすがたにしみている水」は、水(の内)です。

 

「月のかたち」も、代わりの言葉を充(あ)てることはできませんし

しないほうがよいでしょう。

 

何度も何度も反芻(はんすう)するうちに

親しくなってくるものが詩です。

 

 

詩の前半部に親密になったところで

「Ⅱ やさしさがかくれる」へ接近しましょう。

 

滝口雅子の「長い時間」は

日本の植民地であった朝鮮の咸鏡北道で生まれて

日本の東京にやってくるまでの経験の上に

第1詩集「蒼い馬」までのすべての時間(歴史)を含んでいることでしょうから

「歴史」後半部も読み過ごせない詩のはずです。

 

 

Ⅱ やさしさがかくれる

 

死ぬことを死ぬこととは思わずに

夜明けをたしかめる一つの暗さであると

夜明けの星の光は「朝」に呑まれていき

やさしさが きびしさのなかにかくれる

お互いの唇に唇をおしあて

お互いの手と手でたしかめられるわれらのを

夜のやさしさを しっかりと

われらのものにするために

 

(土曜美術社「新編滝口雅子詩集」より。)

 

 

3連に分けられた「やさしさがかくれる」の第1連です。

 

この連は

前半4行と後半4行を分別して読んで支障はなく

そうすると前半4行の「息の長いような」詩行が見え易くなってきます。

 

第1行と第2行とを一気に読み

次に第2行と第3行とをまとめて読み

第3行と第4行とを続きで読み

最後に全4行を一つながりで読み

次に後半4行へと進んでいくと

詩はより近づいてくることでしょう。

 

もちろん、こんな読み方は

一つの方便に過ぎませんが。

 

 

死ぬことを死ぬことと思わずに、というのは

この行だけを読むとぼんやりしているのですが

夜明けをたしかめる一つの暗さであると、と続けて読むと

夜はやがて夜明けを迎えるのですから

夜明けよりも暗いのが夜なのですから

その暗さのなかでは死がすぐそばにあったとしても見えにくいものだし

構っていられない

――というようなことが歌われて

第3連へ続いていきます。

 

夜明けをたしかめる一つの暗さであると

夜明けの星の光は「朝」に呑まれていき

 

――は夜明けはやがて「朝」を迎えるのですから

「朝」になれば夜明けに輝いていた星の光は見えなくなる

 

こうして第4行、

やさしさが きびしさのなかにかくれる

――は、

夜のうちにあったやさしさが日中の(日常の)きびしさの中に隠れてしまう

 

 

そのやさしさを

しっかりとつなぎとどめておこう。

 

われらのもっとも大事なやさしさを

夜の中に確かにあったわれらのやさしさ(愛)を――。

 

 

「歴史」全体の7割ほどを読んだところですが

ここでまた滝口雅子の「長い時間」の実際を見ておきましょう。

 

 

1938年に、一人海を越え、上京したころの滝口雅子について

高良留美子が次のように記しているのは

この詩「歴史」を読む大きな手掛かりになります。

 

 

 四歳のときに生母を失い、滝口家の養女となった彼女は、すでに生家の親戚関係とはほとんど切りは

なされてしまっていたのだが、さらにこの上京とそれにつづく戦争、敗戦によって、生地朝鮮での過去の

家族関係、友人関係のほとんどを失い、敗戦直前には養母も失って、ほぼ完全に孤独の身となってい

る。

 

(「新編滝口雅子詩集」解説「滝口雅子さんの詩について」より。)

 

 

「歴史」が

「完全に孤独の身」であった現実と無縁であるがずはありません。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

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