滝口雅子を知っていますか?/「蒼い馬」へ/「歴史 Ⅱ やさしさがかくれる」その2
(前回からつづく)
背を向けたまま延びてくる手のぬくみが
僅かに優しさのしるしであり
それもつかの間で薄れるきびしさがくる
われらは夜の 夜明けの前の
暗さのなかに息たえる
息たえることで歴史のなかに生れるのだと
きびしさのかげに やさしさがかくれる
(「新編滝口雅子詩集」より。)
◇
これは「歴史」の「Ⅱ やさしさがかくれる」の第2連です。
一見、何が書かれてあるのか戸惑う人は多いことでしょう。
背を向けたまま延びてくる手
――とは何だろう。
なにやら、
後手(うしろで)の格好で
手が差し出される状態が歌われているが
それはどのような状況なのか、ピンときません。
詩の全体から捉えなおさないと
分からないような詩語です。
単に、詩だけでなく
詩の外にある詩人の経験を動員しないと
理解できない詩語かもしれない。
こういう場合は、
とりあえず字義通りの解釈を試みておきます。
前にいるその人が後手を延ばしていて
そのぬくもりを感じている主体は
詩の作者しか見当たりません。
◇
もう一つ。
息たえることで歴史のなかに生れるのだと
――という詩行は、
死そのことを指示しているのか
パラドクスを示すのか
くたびれて眠りにつくことを意味しているのか
いずれにしても、
苛烈(かれつ)な状態(状況)の詩的表現であることが想像されます。
歴史はきびしく
きびしさのなかにやさしさはかくれるのですが
かくれるのであって
死に絶えることではない。
きびしさ(苛烈な状態)は続く。
しかし――。
◇
片ときも眠ることなく 眠らせぬ未来の
呼びかけに応えて つき進むことが
生きるしるしであると
はるかな海の水平線に向ってひいていく潮の
光りがひいていくと見えながら
一層深まる暁の星のやさしさよ
――と第3連へ続いて
「Ⅱ やさしさがかくれる」は閉じます。
◇
夜の暗闇を通じた夜明け前の
すぐにはしかし明けない夜明けの
水平線に向って引いていく潮(うしお)の光は
消えていきそうだけれども
暁(あかつき)に輝いている星よ。
星のやさしさよ。
◇
暗黒に近い世界を歌っているようでありながら
詩に暗さはありません。
この詩(人)の
大きな特徴がここにあります。
◇
第2連の
背を向けたまま延びてくる手は
どのような状況を示しているのかという問いは
ここにきては詮索(せんさく)する必要もないことに気づくでしょう。
その手が
ぬくみとして感じられていることを読めば十分ですから。
◇
途中ですが
今回はここまで。
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