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2016年6月 6日 (月)

滝口雅子を知っていますか?/「蒼い馬」へ/「歴史 Ⅱ やさしさがかくれる」その2

(前回からつづく)

 

 

 

背を向けたまま延びてくる手のぬくみが

僅かに優しさのしるしであり

それもつかの間で薄れるきびしさがくる

われらは夜の 夜明けの前の

暗さのなかに息たえる

息たえることで歴史のなかに生れるのだと

きびしさのかげに やさしさがかくれる

 

(「新編滝口雅子詩集」より。)

 

 

これは「歴史」の「Ⅱ やさしさがかくれる」の第2連です。

 

一見、何が書かれてあるのか戸惑う人は多いことでしょう。

 

背を向けたまま延びてくる手

――とは何だろう。

 

なにやら、

後手(うしろで)の格好で

手が差し出される状態が歌われているが

それはどのような状況なのか、ピンときません。

 

詩の全体から捉えなおさないと

分からないような詩語です。

 

単に、詩だけでなく

詩の外にある詩人の経験を動員しないと

理解できない詩語かもしれない。

 

こういう場合は、

とりあえず字義通りの解釈を試みておきます。

 

前にいるその人が後手を延ばしていて

そのぬくもりを感じている主体は

詩の作者しか見当たりません。

 

 

もう一つ。

 

息たえることで歴史のなかに生れるのだと

――という詩行は、

死そのことを指示しているのか

パラドクスを示すのか

くたびれて眠りにつくことを意味しているのか

いずれにしても、

苛烈(かれつ)な状態(状況)の詩的表現であることが想像されます。

 

歴史はきびしく

きびしさのなかにやさしさはかくれるのですが

かくれるのであって

死に絶えることではない。

 

きびしさ(苛烈な状態)は続く。

しかし――。

 

 

片ときも眠ることなく 眠らせぬ未来の

呼びかけに応えて つき進むことが

生きるしるしであると

はるかな海の水平線に向ってひいていく潮の

光りがひいていくと見えながら

一層深まる暁の星のやさしさよ

 

――と第3連へ続いて

「Ⅱ やさしさがかくれる」は閉じます。

 

 

夜の暗闇を通じた夜明け前の

すぐにはしかし明けない夜明けの

水平線に向って引いていく潮(うしお)の光は

消えていきそうだけれども

暁(あかつき)に輝いている星よ。

 

星のやさしさよ。

 

 

暗黒に近い世界を歌っているようでありながら

詩に暗さはありません。

 

この詩(人)の

大きな特徴がここにあります。

 

 

第2連の

背を向けたまま延びてくる手は

どのような状況を示しているのかという問いは

ここにきては詮索(せんさく)する必要もないことに気づくでしょう。

 

その手が

ぬくみとして感じられていることを読めば十分ですから。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

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