折にふれて読む中原中也の名作/「朝(雀の声が鳴きました)」
小林秀雄の1946年は
母堂の死去
「新日本文学」による戦争責任の追及のはじまり
明治大学教授を辞任
水道橋駅ホームからの転落事故
……など身辺ただならぬ事態に立て続けに見舞われた年です。
「モオツアルト」は
そのような日々に追われる7月に書かれたことが
新潮文庫「モオツアルト・無常ということ」の解説(江藤淳)に記されています。
◇
「創元」の1946年12月号に
この「モオツアルト」と
中原中也の「詩四編」とが掲載されたのです。
◇
「モオツアルト」と中原中也の「詩四編」とが
なんらかの内(在)的関係にあるとかないとか
そのような大それた分析を試みるつもりは
毛頭ありません。
両者は
文学雑誌「創元」の1946年12月号に
同時に発表されたという関係以上のものではなく
これまでに関係を言及されたことはありません。
けれども
中原中也はこの時に生存しておらず
故人である詩人の作品の掲載を決めたのは
小林秀雄でした。
4編の詩を選択したのも小林秀雄でしたから
これほどの強い関係を無関係というのも
あまりに不自然です。
このことについての実証的研究は
研究者に委ねることにしましょう。
◇
ここでは
このあたりのことを踏まえながら
4編の詩のすべてにとにかく目を通すことにしましょう。
最後に残されたのは「朝」です。
◇
朝
雀の声が鳴きました
雨のあがった朝でした
お葱(ねぎ)が欲しいと思いました
ポンプの音がしていました
頭はからっぽでありました
何を悲しむのやら分りませんが、
心が泣いておりました
遠い遠い物音を
多分は汽車の汽笛(きてき)の音に
頼みをかけるよな心持
心が泣いておりました
寒い空に、油煙(ゆえん)まじりの
煙が吹かれているように
焼木杭(やけぼっくい)や霜(しも)のよう僕の心は泣いていた
(1934・4・22)
(「新編中原中也全集 第2巻・詩Ⅱ」より。新かなに変えました。編者。)
◇
これで「創元」に載った「詩四編」のすべてに
目を通したことになります。
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