折にふれて読む中原中也の名作/「昏睡」
いちじくの枝ぶりのシルエットを、
美しい、前歯一本欠け落ちたおみなが
姿勢よく、ゆうべの空に、立ちつくす
――と見立てたメタファーの見事なこと!
夕空の「いちじくの葉」の読みどころはしかし、
わたしの過去の ごちゃごちゃと
積みかさなった思い出の
ほごすすべなく、いらだって、
――というあたりの暗澹(あんたん)を
なにもかも、いわぬこととし、
――という気持ちに方向転換して
そそぐべき愛情を見定めているところにあるでしょう。
◇
「いちじくの葉」は
不気味で暗澹たるものの描写であるよりも
詩人が力づけられていく
源泉のようなものの世界と読むことができるでしょう。
名作「曇天」に連なるような。
◇
もう一つの「いちじくの葉」は
1946年(昭和21年)になって
季刊誌「創元」に
「昏睡」「夜明け」「朝」とともに
「詩(四編)」として発表されましたが
この4編が繋がりを持っていることを読んだのは小林秀雄でした。
それはやはり炯眼(けいがん)というべきでしょう。
◇
昏 睡
亡びてしまったのは
僕の心であったろうか
亡びてしまったのは
僕の夢であったろうか
記臆というものが
もうまるでない
往来を歩きながら
めまいがするよう
何ももう要求がないということは
もう生きていては悪いということのような気もする
それかと云(い)って生きていたくはある
それかと云って却に死にたくなんぞはない
ああそれにしても、
諸君は何とか云ってたものだ
僕はボンヤリ思い出す
諸君は実に何かかか云っていたっけ
(1934・4・22)
(「新編中原中也全集 第2巻・詩Ⅱ」より。新かなに変えました。編者。)
◇
この詩の末行の
諸君は実に何かかか云っていたっけ
――の「何かかか」は
誤記とも誤植とも指摘されないまま発表されます。
それはこの詩が制作者没後に発表され
「創元」の編集責任者であった小林秀雄の考えを反映しているからのようです。
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