折にふれて読む中原中也の名作/「いちじくの葉」二つ
それぞれ午前と夕方のいちじくの葉をモチーフにした
二つの「いちじくの葉」は
似ていないようで
どうしようもなく似ているところのある詩です。
23歳制作の夕方のと
26歳制作の午前のとを並べて読んでみましょう。
◇
いちじくの葉
いちじくの、葉が夕空にくろぐろと、
風に吹かれて
隙間(すきま)より、空あらわれる
美しい、前歯一本欠け落ちた
おみなのように、姿勢よく
ゆうべの空に、立ちつくす
――わたくしは、がっかりとして
わたしの過去の ごちゃごちゃと
積みかさなった思い出の
ほごすすべなく、いらだって、
やがては、頭の重みの現在感に
身を托(たく)し、心も托し、
なにもかも、いわぬこととし、
このゆうべ、ふきすぐる風に頸(くび)さらし、
夕空に、くろぐろはためく
いちじくの、木末(こずえ) みあげて、
なにものか、知らぬものへの
愛情のかぎりをつくす。
◇
いちじくの葉
夏の午前よ、いちじくの葉よ、
葉は、乾いている、ねむげな色をして
風が吹くと揺れている、
よわい枝をもっている……
僕は睡(ねむ)ろうか……
電線は空を走る
その電線からのように遠く蝉(せみ)は鳴いている
葉は乾いている、
風が吹いてくると揺れている
葉は葉で揺れ、枝としても揺れている
僕は睡ろうか……
空はしずかに音く、
陽は雲の中に這入(はい)っている、
電線は打つづいている
蝉の声は遠くでしている
懐しきものみな去ると。
(1933・10・8)
(「新編中原中也全集 第2巻・詩Ⅱ」より。新かなに変えました。編者。)
◇
詩の末行だけを取り出して比べることを
この場合許されるでしょう。
いちじくの、木末(こずえ) みあげて、
なにものか、知らぬものへの
愛情のかぎりをつくす。
――という3行の中の
「知らぬもの」と、
蝉の声は遠くでしている
懐しきものみな去ると。
――という2行の中の
「懐しきもの」とに
なんらかのヒントがありやしないか。
どちらも「結語」の役を負っていて
ここに似ているような似ていないようなものがあります。
◇
夕方の「いちじくの葉」では
「知らぬもの」は
得体のしれない
未知の何ものかであり
この何ものかに対して
沸々(ふつふつ)と沸き起こって来るものは愛情です。
◇
いっぽう、
午前の「いちじくの葉」の「懐しきもの」は
みんな過ぎ去っていく。
いちじくの葉もろとも
風と共に
電線と共に
蝉の声と共に
過ぎ去っていく
――いっそすがすがしい力になっている。
◇
どちらの「いちじくの葉」も
どこかしら
バイタルなものの源泉であるような
どこかしら
希望に似た響きを帯びているようです。
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