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2016年6月21日 (火)

折にふれて読む中原中也の名作/「いちじくの葉」二つ

 

それぞれ午前と夕方のいちじくの葉をモチーフにした

二つの「いちじくの葉」は

似ていないようで

どうしようもなく似ているところのある詩です。

 

23歳制作の夕方のと

26歳制作の午前のとを並べて読んでみましょう。

 

 

いちじくの葉

いちじくの、葉が夕空にくろぐろと、

風に吹かれて

隙間(すきま)より、空あらわれる

美しい、前歯一本欠け落ちた

おみなのように、姿勢よく

ゆうべの空に、立ちつくす

 

――わたくしは、がっかりとして

わたしの過去の ごちゃごちゃと

積みかさなった思い出の

ほごすすべなく、いらだって、

やがては、頭の重みの現在感に

身を托(たく)し、心も托し、

 

なにもかも、いわぬこととし、

このゆうべ、ふきすぐる風に頸(くび)さらし、

夕空に、くろぐろはためく

いちじくの、木末(こずえ) みあげて、

なにものか、知らぬものへの

愛情のかぎりをつくす。

 

 

いちじくの葉

 

夏の午前よ、いちじくの葉よ、

葉は、乾いている、ねむげな色をして

風が吹くと揺れている、

よわい枝をもっている……

 

僕は睡(ねむ)ろうか……

電線は空を走る

その電線からのように遠く蝉(せみ)は鳴いている

葉は乾いている、

風が吹いてくると揺れている

葉は葉で揺れ、枝としても揺れている

 

僕は睡ろうか……

空はしずかに音く、

陽は雲の中に這入(はい)っている、

電線は打つづいている

蝉の声は遠くでしている

懐しきものみな去ると。

       (1933・10・8)

(「新編中原中也全集 第2巻・詩Ⅱ」より。新かなに変えました。編者。)

 

詩の末行だけを取り出して比べることを

この場合許されるでしょう。

 

いちじくの、木末(こずえ) みあげて、

なにものか、知らぬものへの

愛情のかぎりをつくす。

――という3行の中の

「知らぬもの」と、

蝉の声は遠くでしている

懐しきものみな去ると。

――という2行の中の

「懐しきもの」とに

なんらかのヒントがありやしないか。

 

どちらも「結語」の役を負っていて

ここに似ているような似ていないようなものがあります。

 

 

夕方の「いちじくの葉」では

「知らぬもの」は

得体のしれない

未知の何ものかであり

この何ものかに対して

沸々(ふつふつ)と沸き起こって来るものは愛情です。

 

 

いっぽう、

午前の「いちじくの葉」の「懐しきもの」は

みんな過ぎ去っていく。

いちじくの葉もろとも

風と共に

電線と共に

蝉の声と共に

過ぎ去っていく

――いっそすがすがしい力になっている。

 

 

どちらの「いちじくの葉」も

どこかしら

バイタルなものの源泉であるような

どこかしら

希望に似た響きを帯びているようです。

 

 

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