折にふれて読む中原中也の名作/「狂気の手紙」
やっぱりここで「狂気の手紙」を読んでおきましょう。
この詩が名作かどうか、
そんなことは問題ではありません。
この詩に問題があるとすれば
狂気がどこにも見つからないということです。
◇
狂気の手紙
袖の振合い他生(たしょう)の縁
僕事(ぼくこと)、気違いには御座候(ござそうら)えども
格別害も致し申さず候間
切角(せっかく)御一興とは思召(おぼしめ)され候て
何卒(なにとぞ)気の違った所なぞ
御高覧の程伏而懇願仕候(ふしてこんがんつかまつりそうろう)
陳述此度(のぶればこたび)は気がフーッと致し
キンポーゲとこそ相成候(あいなりそうろう)
野辺(のべ)の草穂と春の空
何仔細(しさい)あるわけにも無之(これなく)候処
タンポポや、煙の族(やから)とは相成候間
一筆御知らせ申上候
猶(なお)、また近日日蔭など見申し候節は
早速参上、羅宇(ラウ)換えや紙芝居のことなぞ
詳しく御話し申し上候
お葱(ねぎ)や塩のことにても相当お話し申上候
否、地球のことにてもメリーゴーランドのことにても
お鉢(はち)のことにても火箸(ひばし)のことにても何にても御話申上可候(おはなしもうしあぐべくそうろう)匆々(そうそう)
(1934・4・22)
◇
詩人はこの詩を書いたころ
陰口(かげぐち)をたたかれたのか
面と向かって誰かに罵(ののし)られたのか
気違い呼ばわりされたことがあって
それが風聞(ふうぶん)となって
詩人の属する共同体(交友関係)に広く伝わっていることを知りました。
その反撃みたいなことを歌ったのがこの詩です。
しかし怒りは抑えられ
候文(そうろうぶん)による道化調が駆使されました。
◇
人が生きるっていうのは
袖の振合い他生(たしょう)の縁
――と申します通りのこと!
僕事(ぼくこと)、気違いには御座候(ござそうら)えども
(僕、気違いということになってはございますが)
格別害も致し申さず候間
(別段、危害を加えることも致しませんから)
切角(せっかく)御一興とは思召(おぼしめ)され候て
(折角ですから、ご一興とお思いになされまして)
何卒(なにとぞ)気の違った所なぞ
(何卒どうか、気の違ったところなどを)
御高覧の程伏而懇願仕候(ふしてこんがんつかまつりそうろう)
(とっくりとご覧になりますことを平に平にお願い致すところでございます)
――とまずは丁寧至極の挨拶。
つぎにこの度の一件を説明します。
◇
陳述此度(のぶればこたび)は気がフーッと致し
(少しだけ今度のことを話しませば、気がフーっとなって)
キンポーゲとこそ相成候(あいなりそうろう)
(まさしくキンポウゲになってしまいましたのです)
野辺(のべ)の草穂と春の空
――がそこにあったというようなもので
何仔細(しさい)あるわけにも無之(これなく)候処
(なんらこれといった理由があるものでもございませんで)
タンポポや、煙の族(やから)とは相成候間
(タンポポや、煙の仲間になったみたいなものでして)
一筆御知らせ申上候
(そのことを一筆お知らせ申し上げいたします)
◇
次が最終連にあたる締めの部分。
猶(なお)、また近日日蔭など見申し候節は
(なお、また近く佳い日がありました折には)
早速参上、羅宇(ラウ)換えや紙芝居のことなぞ
(さっそく参上し、羅宇(ろう)換えや紙芝居のことなども)
詳しく御話し申し上候
(詳しくお話し申し上げいたしますし)
お葱(ねぎ)や塩のことにても相当お話し申上候
(お葱や塩など日々の暮らしのこともたっぷりとお話し申し上げますし)
否、地球のことにてもメリーゴーランドのことにても
(いや、地球のことやメリーゴーランドのことや)
お鉢(はち)のことにても火箸(ひばし)のことにても何にても御話申上可候(おはなしもうしあぐべくそうろう)匆々(そうそう)
(お鉢や火箸のことやその他なんでもお話し申し上げるつもりでございます)
草々。
◇
思い出されるのは
茗荷を食い過ぎた月が現れる詩「月」(「在りし日の歌」)ですね。
◇
キンポウゲ、とか。
タンポポや、煙の族、とか。
怪しい詩語が現れますが
詩人がLSD体験とかハッシシ体験とかに及んだわけではありますまい。
◇
ロジックに一抹の乱れはなく
詩そのものに狂気の気配もありません。
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