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« アッバス・キアロスタミ追悼・その4/再録「オリーブの林をぬけて 」鑑賞記 | トップページ | 滝口雅子を知っていますか?/タイトル詩「蒼い馬」を読む・その3 »

2016年7月17日 (日)

滝口雅子を知っていますか?/タイトル詩「蒼い馬」を読む・その2

(前回からつづく)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「蒼い馬」の盲(めし)いた馬は

 

秋になって

 

冷たさを増す海水に浸(つ)かり

 

海の底でじっと耐えています。

 

 

 

耐えながら待っているのですが

 

待っていることにも耐えている。

 

 

 

つめたさに耐えて

 

待つことに耐えて

 

――という末尾2行が

 

今(=つめたさ)とこれまで(=待つ)という二つの時間を物語るのですが

 

痛いとも寒いとも言わない馬の不動の姿勢が

 

想像を絶する、一種畏敬に似た感慨を呼び覚ますとともに

 

この詩に揺るぎない強い意志の力を放出しています。

 

 

 

ここで耐えているのは

 

馬であり詩人です。

 

 

 

 

 

 

過去にどのような悲しみの種があり

 

どのような苦難の元があったのか

 

詩はなんらかの手がかりを与えません。

 

 

 

盲いた

 

背なかに浴びた血しぶき

 

傷ついた脇腹からしみ出る血

 

――といったダメージが

 

どのようにして馬にもたらされたのか

 

蒼い馬(=詩人)の記憶から忘却されているかのように

 

詩(人)はそれを歌いません。

 

 

 

 

 

 

どのようにして

 

蒼い馬が海にすむようになり

 

どのようにして盲いた目をもつようになったか。

 

 

 

そのことについて

 

この詩が一切(いっさい)触れないのには

 

理由があることでしょう。

 

 

 

 

 

 

蒼い馬

 

 

 

沈んだつぶやきは 海の底からくる

 

水のしわをすかして見える一匹の馬の

 

盲いたそのふたつの目

 

かってその背中に

 

人をのせた記憶さえうすれて

 

海底を行く一匹の蒼い馬4

 

馬はいつから 海に住むか

 

背なかに浴びた血しぶきは

 

自分のものだったか

 

誰のだったか

 

何の気取りもなく 片脚で

 

からみつく海藻を払いながら行く

 

盲いた馬の目は ひそかに

 

海のいろよりも

 

遠くさびしい藍色を加え

 

傷ついた脇腹からしみ出る血は

 

海水に洗われ

 

水から水へ流されて――

 

 

 

秋になると

 

海面にわき上るつめたい濃霧

 

そのとき 海底の岩かげに

 

馬はひとり脚を折ってうずくまる

 

つめたさに耐えて

 

待つことに耐えて

 

 

 

(土曜美術社「滝口雅子全詩集」より。)

 

 

 

 

 

 

蒼い馬は

 

水を透かして向こうにいますが

 

向こうにいるようでいて

 

ここ(=詩人のいる場所)にもいるかのようです。

 

 

 

蒼い馬は傷ついているのですが

 

蒼い馬を見ている詩人はいつしか

 

傷ついている馬であります。

 

 

 

傷ついている馬はいま

 

傷そのものにケアを集中する暇(いとま)もなく

 

ひたすら耐えています。

 

 

 

 

 

 

それにしても。

 

 

どこから来て、どこへ行こうとしているのか?

 

――という、この詩(人)の出自・来歴および未来が気になります。

 

 

 

あたかも、そう問うことが予想されていたかのように

 

詩の企(たくら)みが

 

そう問うように仕向けられているかのようです。

 

 

 

詩人の出生と生い立ちを知りたくなります。

 

 

 

 

 

 

1918年(大正7年)

 

9月20日、朝鮮咸鏡北道に生れる。父・山本勝三郎は京城府庁の土木技師であった。病身の母の傍を

離れて親戚の家を転々としたが、4歳の時母逝く。

 

 

 

1925年(大正14年)

 

牧場主、滝口家の養女になり、滝口姓になる。京城西大門公立尋常小学校に入学。4年生の時、実父・

勝三郎は、郷里福岡の病院で亡くなる。

 

 

 

1931年(昭和6年)

 

 1月、6年生の時、学業優秀品行方正ということで、京畿道知事の表彰を受ける。「小辞林」1冊もらう。

この時、男子の部で表彰されたA君は、のちに召集され、北支で戦死した(21歳)。3月、西大門小学校

卒業、家のものは女子に学問は不要として上級学校志望の届を出さなかった。誰に頼まれたわけでは

なかったが、担任の教師が家を訪れて、上級に行くことを両親にすすめてくれ、「先生がああ云われる

から」ということで学校にいくことが出来た。4月、京城第一公立高等女学校に入学。学校は道をへだて

て、当時の梨花女子専門学校と対していた。2年生の頃から、文学全集などに親しみ、横光利一、川端

康成などをよく読む。学校では数学が一番好きで成績もよかった。音楽、体操はにが手であった。

 

 

 

1936年(昭和11年)

 

3月、女学校を卒業。成績は197人中12番。当時の奈良女子高等師範を目ざしてひそかに勉強して

いたが許されず、裁縫と生け花のけいこに通う。この時期、萩原朔太郎の「氷島」、室生犀星の「愛の詩

集」、宮沢賢治などを読んだ。肺門淋巴腫脹のため1年間療養する。

 

 

 

1938年(昭和13年)

 

5月、3ヶ月前から、通信教育で練習していた速記を仕上げるため、単身上京して世田谷の速記塾に入

る。1週間後には鵠沼海岸に移り、そこで速記に明け暮れる1年を過ごす。

 

 

 

(「新編滝口雅子詩集」の巻末年譜より。)

 

 

 

 

 

 

これで「蒼い馬」の背景にあった現実を

 

おおよそ見当つけることが可能でしょうか。

 

 

 

 

 

 

途中ですが

 

今回はここまで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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