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« 滝口雅子を知っていますか?/海3部作の一つ「水炎」 | トップページ | 滝口雅子を知っていますか?/「人と海」と「死の岬の水明り」 »

2016年8月 4日 (木)

滝口雅子を知っていますか?/「水炎」から「人と海」へ

(前回からつづく)

 

 

 

 

 

 

海藻が水の炎になって延びる

その海藻には、岩や小石がからんでいる

――というとき

海藻は何を示すメタファーなのか?

 

水は?

炎は?

岩や小石は?

 

 

「延びる」が海藻の述語であるなら

海藻は成長し増殖し

前へ先へ未来へと向かう前進的なエネルギー(存在)を指し

その海藻は、

水にさらされて

水に洗われて

水にもまれて

いつしか水と一体となり

水そのものになり

炎になっている。

 

 

海底の馬(=詩人)は

目を開けることができたのだ!

 

その目がとらえたのが

海藻(岩石や小石がからまっている)であり

水であり炎だった。

――ということになるのでしょうか。

――といってしまうと詩を見失ってしまうでしょうか。

 

 

爆発的な変化ではないけれど

詩(人)は、

生きた心地みたいなものを

ようやくつかんだような

何か脱け出たような領域に入った感じがあります。

 

 

海を扱ったほかの詩を

もう少し読んでみましょう。

 

「人と海」は

「水炎」の次の次に配置されています。

 

「水炎」とは異なる時間が流れています。

 

あきらかに時間は推移しています。

 

 

人と海

 

海の向うで声がする

死んだひとの声がする

生きているものまでが

海の向うから声をかける

 

寄せてきてひいていく海の言葉

孤独な海の言葉

たくさんの時間を呑みこんだ

さまざまな水温の層

海の向うの光

生と死のぶつかる光

光りのなかから湧くういういしいこころ

水平線を軸に静かにまわる空

 

海に向って進んでいく

生きているものの

ふるえやまない怖れと期待と

死んだものの呼びかけ

 

魚がかがやき跳ねる海のはて

生きているとき

ひとは何が云いたかったか――

過ぎていった幾つもの永い世紀

 

(土曜美術社「滝口雅子詩集」より。)

 

 

ここでは海は、

海底ではありません。

 

水平線の見えるところですから

地上のはずです。

 

海はここにあるのではなく

遠くにあり、

過ぎていった時のようであります。

 

 

詩(人)は

それを振り返っているようですから

ここ(=地上)はすでに

生地朝鮮ではなく

日本のどこかであるかもしれません。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

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