滝口雅子を知っていますか?/「水炎」から「人と海」へ
(前回からつづく)
海藻が水の炎になって延びる
その海藻には、岩や小石がからんでいる
――というとき
海藻は何を示すメタファーなのか?
水は?
炎は?
岩や小石は?
◇
「延びる」が海藻の述語であるなら
海藻は成長し増殖し
前へ先へ未来へと向かう前進的なエネルギー(存在)を指し
その海藻は、
水にさらされて
水に洗われて
水にもまれて
いつしか水と一体となり
水そのものになり
炎になっている。
◇
海底の馬(=詩人)は
目を開けることができたのだ!
その目がとらえたのが
海藻(岩石や小石がからまっている)であり
水であり炎だった。
――ということになるのでしょうか。
――といってしまうと詩を見失ってしまうでしょうか。
◇
爆発的な変化ではないけれど
詩(人)は、
生きた心地みたいなものを
ようやくつかんだような
何か脱け出たような領域に入った感じがあります。
◇
海を扱ったほかの詩を
もう少し読んでみましょう。
「人と海」は
「水炎」の次の次に配置されています。
「水炎」とは異なる時間が流れています。
あきらかに時間は推移しています。
◇
人と海
海の向うで声がする
死んだひとの声がする
生きているものまでが
海の向うから声をかける
寄せてきてひいていく海の言葉
孤独な海の言葉
たくさんの時間を呑みこんだ
さまざまな水温の層
海の向うの光
生と死のぶつかる光
光りのなかから湧くういういしいこころ
水平線を軸に静かにまわる空
海に向って進んでいく
生きているものの
ふるえやまない怖れと期待と
死んだものの呼びかけ
魚がかがやき跳ねる海のはて
生きているとき
ひとは何が云いたかったか――
過ぎていった幾つもの永い世紀
(土曜美術社「滝口雅子詩集」より。)
◇
ここでは海は、
海底ではありません。
水平線の見えるところですから
地上のはずです。
海はここにあるのではなく
遠くにあり、
過ぎていった時のようであります。
◇
詩(人)は
それを振り返っているようですから
ここ(=地上)はすでに
生地朝鮮ではなく
日本のどこかであるかもしれません。
◇
途中ですが
今回はここまで。
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