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2016年8月16日 (火)

滝口雅子を知っていますか?/「死の岬の水明り」と「女の半身像」の窓

(前回からつづく)

 

 

 

 

 

<信じる>

この明るみだけ

――と「死の岬の水明り」前半連は歌い終わります。

 

この「明るみ」は

いったいどこからやってくるでしょうか。

 

この明るみは水明りに他なりませんが

死の岬に星か月かの光があったのでしょうか。

 

 

そうであってもおかしくはありませんが

この明るみは

自然の明るさを指すものではないでしょう。

 

この明るみは

多くの人の、その人たちのうしろの

窓の向こうの死の岬

――を見ている(詩人の)心の中の光です。

 

そして、この光は、

幾万のひると夜を

何が幸せで何が不幸だったかわからなくなっても

(雑草の)根っこにしがみついて(でも)

それ(=明るみ)を信ずる

――という断言をもたらします

 

この断言は

結びの連の5行につながっていきます。

 

 

あたらしい玉藻のように結球する

悔いることのない

人間の悲しみ。

 

キャベツが葉を巻いて大きくなっていくような

後悔する暇(ひま)もない。

 

(ここに、省略と飛躍と詩はあるでしょう!)

 

「かなしみ」を

照らし出すかのように

水明りは

窓を飛び越えて

ひたひたと押し寄せます。

 

 

何が幸せで何が不幸だったかわからないというほどのこと(経験)。

 

人間のかなしみ。

 

「ここ」からは

それらがよく見える、ということでしょうか。

 

 

それにしても

この詩には

暗さがないのは何故でしょう。

 

この詩人の詩に共通する

それは謎のようなことです。

 

この詩に現れる窓は

謎を読み解く

一つの手がかりです。

 

 

「蒼い馬」と「水炎」の間に置かれた

「女の半身像」にも窓が現れますから

なんらかのヒントがあるかもしれません。

 

 

女の半身像

 

白いからだ 白い胸

白い足のうら

折りまげた膝のうらにひそむ影

耳につるばらの花がかかり

口の切りこみにゆれる緑の葉

黒ずむ乳房

しなう腕はやがて折れおちて

とじられた目のうらに一つの窓がひらく

窓の下におちていく大理石の

女の半身像

 

幾世紀のむかし

ばらは さざ波をくぐって

窓の果てまで匂いを放ったが

闇に唇をひらいて燃えているのは

あれは 忘れられてしまった愛

今は 死んでしまった愛

 

(土曜美術社「新編滝口雅子詩集」より。)

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

 

 

 

 

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