滝口雅子を知っていますか?/「死の岬の水明り」と「女の半身像」の窓
(前回からつづく)
<信じる>
この明るみだけ
――と「死の岬の水明り」前半連は歌い終わります。
この「明るみ」は
いったいどこからやってくるでしょうか。
この明るみは水明りに他なりませんが
死の岬に星か月かの光があったのでしょうか。
◇
そうであってもおかしくはありませんが
この明るみは
自然の明るさを指すものではないでしょう。
この明るみは
多くの人の、その人たちのうしろの
窓の向こうの死の岬
――を見ている(詩人の)心の中の光です。
そして、この光は、
幾万のひると夜を
何が幸せで何が不幸だったかわからなくなっても
(雑草の)根っこにしがみついて(でも)
それ(=明るみ)を信ずる
――という断言をもたらします。
この断言は
結びの連の5行につながっていきます。
◇
あたらしい玉藻のように結球する
悔いることのない
人間の悲しみ。
キャベツが葉を巻いて大きくなっていくような
後悔する暇(ひま)もない。
(ここに、省略と飛躍と詩はあるでしょう!)
「かなしみ」を
照らし出すかのように
水明りは
窓を飛び越えて
ひたひたと押し寄せます。
◇
何が幸せで何が不幸だったかわからないというほどのこと(経験)。
人間のかなしみ。
「ここ」からは
それらがよく見える、ということでしょうか。
◇
それにしても
この詩には
暗さがないのは何故でしょう。
この詩人の詩に共通する
それは謎のようなことです。
この詩に現れる窓は
謎を読み解く
一つの手がかりです。
◇
「蒼い馬」と「水炎」の間に置かれた
「女の半身像」にも窓が現れますから
なんらかのヒントがあるかもしれません。
◇
女の半身像
白いからだ 白い胸
白い足のうら
折りまげた膝のうらにひそむ影
耳につるばらの花がかかり
口の切りこみにゆれる緑の葉
黒ずむ乳房
しなう腕はやがて折れおちて
とじられた目のうらに一つの窓がひらく
窓の下におちていく大理石の
女の半身像
幾世紀のむかし
ばらは さざ波をくぐって
窓の果てまで匂いを放ったが
闇に唇をひらいて燃えているのは
あれは 忘れられてしまった愛
今は 死んでしまった愛
(土曜美術社「新編滝口雅子詩集」より。)
◇
途中ですが
今回はここまで。
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