中原中也の鎌倉/「在りし日の歌」清書の前後
1937年(昭和12年)9月26日は
79年前の今日という日になりますが
中原中也は「在りし日の歌」の清書原稿を
小林秀雄に手渡した日です。
寿福寺敷地内の住まいから
当時小林秀雄が住んでいた扇ケ谷まで
歩いて10分ほどの道を辿りました。
「後記」が
この原稿の中にあったのは言うまでもありません。
さらば東京!
おおわが青春!
――とある「後記」が書かれたのは
この日の3日前のことでした。
◇
後記
茲(ここ)に収めたのは、「山羊の歌」以後に発表したものの過半数である。作ったのは、
最も古いのでは大正14年のもの、最も新しいのでは昭和12年のものがある。序(つい)で
だから云(い)うが、「山羊の歌」には大正13年春の作から昭和5年春迄のものを収めた。
詩を作りさえすればそれで詩生活ということが出来れば、私の詩生活も既に23年を経
た。もし詩を以て本職とする覚悟をした日からを詩生活と称すべきなら、15年間の詩生活
である。
長いといえば長い、短いといえば短いその年月の間に、私の感じたこと考えたことは尠
(すくな)くない。今その概略を述べてみようかと、一寸(ちょっと)思ってみるだけでもゾッと
する程だ。私は何にも、だから語ろうとは思わない。ただ私は、私の個性が詩に最も適す
ることを、確実に確かめた日から詩を本職としたのであったことだけを、ともかくも云ってお
きたい。
私は今、此(こ)の詩集の原稿を纏(まと)め、友人小林秀雄に托し、東京13年間の生活
に別れて、郷里に引籠(ひきこも)るのである。別に新しい計画があるのでもないが、いよ
いよ詩生活に沈潜しようと思っている。
扨(さて)、此(こ)の後どうなることか……それを思えば茫洋(ぼうよう)とする。
さらば東京! おおわが青春!
〔1937、9、23〕
(角川書店「新編中原中也全集」第1巻「詩Ⅰ」より。新かな、洋数字に改めました。編者。)
◇
途中ですが
今回はここまで。
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