滝口雅子を知っていますか?/詩集「蒼い馬」/「死と愛」の流れ・追補2
(前回からつづく)
死をみごもるというのは
死ぬということを意味しません。
その逆のことであることに
気づかねばならないでしょう。
◇
未来があることを知るのは
未来に終わりがあることを知ることですし
未来には必ず死があることを知ることです。
「死と愛」の娘は
愛のさなかに
有限の未来を知ります。
それが
死をみごもるということの意味です。
そのようにして
娘は愛を生きはじめました。
◇
詩集「蒼い馬」が
後半部(21番詩)にこの「死と愛」を置いた重大な意味が
ようやく分かりかけてきたようです。
10番詩「蒼い馬」の海の底から脱け出た
盲目の馬のその後(=現在)を
それは暗示しています。
◇
詩集「蒼い馬」に多く収められた挽歌の
かすかな変化をここに見ることができるでしょう。
それは
13番詩「女の半身像」が
死んでしまった愛、忘れられた愛の
完全無比な愛のかたちを歌った流れから
1歩を出るような変化です。
「死と愛」は
過去の愛というよりも
今ここにある、生きている愛を歌いました。
現在進行中の
ぴっかぴかの愛。
憎しみに限りなく近い
男と女の愛。
シュンシュンと沸騰する
革命的な――。
◇
死んでしまった愛を歌う流れは
消え去るということではなく
やがては第3詩集「窓ひらく」の「秋の接吻」などへ通じるものですが
この流れとは別に
男と女の愛や男の性を歌う流れが生れたのです。
この流れは
「蒼い馬」では前面に出ることはありませんが
やがて第2詩集「鋼鉄の足」(1960年)で表面に出てきます。
「男について」
「男S」
「革命とは」
「若もの」
――といった傑作の数々です。
◇
途中ですが
今回はここまで。
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