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2016年9月16日 (金)

滝口雅子を知っていますか?/詩集「蒼い馬」/「死と愛」の流れ・追補2

(前回からつづく)

 

 

 

 

死をみごもるというのは

死ぬということを意味しません。

 

その逆のことであることに

気づかねばならないでしょう。

 

 

未来があることを知るのは

未来に終わりがあることを知ることですし

未来には必ず死があることを知ることです。

 

「死と愛」の娘は

愛のさなかに

有限の未来を知ります。

 

それが

死をみごもるということの意味です。

 

そのようにして

娘は愛を生きはじめました。

 

 

詩集「蒼い馬」が

後半部(21番詩)にこの「死と愛」を置いた重大な意味が

ようやく分かりかけてきたようです。

 

10番詩「蒼い馬」の海の底から脱け出た

盲目の馬のその後(=現在)を

それは暗示しています。

 

 

詩集「蒼い馬」に多く収められた挽歌の

かすかな変化をここに見ることができるでしょう。

 

それは

13番詩「女の半身像」が

死んでしまった愛、忘れられた愛の

完全無比な愛のかたちを歌った流れから

1歩を出るような変化です。

 

「死と愛」は

過去の愛というよりも

今ここにある、生きている愛を歌いました。

 

現在進行中の

ぴっかぴかの愛。

 

憎しみに限りなく近い

男と女の愛。

 

シュンシュンと沸騰する

革命的な――。

 

 

死んでしまった愛を歌う流れは

消え去るということではなく

やがては第3詩集「窓ひらく」の「秋の接吻」などへ通じるものですが

この流れとは別に

男と女の愛や男の性を歌う流れが生れたのです。

 

この流れは

「蒼い馬」では前面に出ることはありませんが

やがて第2詩集「鋼鉄の足」(1960年)で表面に出てきます。

 

「男について」

「男S

「革命とは」

「若もの」

――といった傑作の数々です。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

 

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