滝口雅子を知っていますか?/詩集「蒼い馬」/「死と愛」の流れ・その2
(前回からつづく)
「死と愛」に死が現れることがあっても
愛は出てきません。
これは文字面(もじづら)のことですが、
それは何故だろう
――と問えば
この詩にもう少し近づくことができるでしょう。
◇
死と愛
娘の腕はしびれた
ひとつのものをみつめて目が痛んだ
傷ぐちから光ったものは
憎しみを持った夜
上ってくる
足音が階段を上ってくる
葡萄酒の体臭
激しくまじり合うもののかなしい音
ゆれはじめる娘の部屋
あれは 誰だったか
絶望の手で抱きあげてくれたのは
重たい血の壺をゆすってみせたのは――
娘は
青くやせて
すこやかに<死>をみごもった
(土曜美術社出版販売「新編滝口雅子詩集」より。)
◇
娘の腕はしびれた
ひとつのものをみつめて目が痛んだ
――の「しびれた」も「痛んだ」も
何事かの発端を示しているでしょう。
腕がしびれ、目が痛んだというのは
詩の主格である娘の経験(過去)と考えて間違いありませんから。
この経験が傷口を作り
この傷口が(今でも)光っているというのは
鮮烈な記憶として残っているということでしょうか。
憎しみを持った夜。
階段を上ってくる足音。
その記憶。
――という第1連。
◇
足音はやがて葡萄酒の体臭として出現し
なんの前ぶれもなく性交がはじまり
部屋は揺れる。
相手の男は
暗闇の中で(?)
匂いでしか感知されません。
――という第2連。
ここまで読んでも
愛は現れません。
◇
あれは誰だったか。
絶望の手で娘を抱きあげ
重たい血の壺をゆすってみせたのは
誰だったか。
最終連にきて
愛のようなものが歌われます。
発端がどうであれ
経過がどうであれ
(と言ってよいかどうか)
娘は抱き上げられ
娘の体内に血は流れはじめた――。
このような夜の出来事を
詩(人)は愛と呼んだのでしょうか?
憎しみの夜に
愛は生れたとでもいうのでしょうか?
憎しみと愛は
同じものでしょうか?
◇
物質が燃焼するというのは
激しく酸化するということで
モノ=有機物が燃えれば
炭(スミ=無機物)になるように
ヒトの生命も激しく燃えれば(愛すれば)
死にいっそう近づくという――。
まるで
そのような化学変化を愛の奇跡であるとを類推させるような――。
あるいは「死と愛」は
愛の不可能の方程式を歌っているのでしょうか。
3段論法でもなく
序破急でもなく
因果律でもなく。
愛と憎しみの弁証法などでは
まったくなく。
◇
すこやかに<死>をみごもる
――という詩行が
やはりこの詩を決定していると思えてくるのは
生存の不確かさ、あいまいさを
<死>が照らし出すからで
その<死>を身ごもって
娘は初めて生きるきっかけをつかまえたのだとすれば
憎しみの夜であろうと
暴力の夜であろうと
悲しかろうと
愛を見つけたと言えるのかもしれません。
◇
途中ですが
今回はここまで。
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