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2016年9月27日 (火)

中原中也の鎌倉/「在りし日の歌」清書の前後・その2

昨夜おそかったので朝食後午睡。

夜会話書を読む。

青山二郎に手紙。

今月も無事に終った。

来月は帰省だ。

浴後詩なる。2編。

 

(角川書店「新編中原中也全集」第5巻「日記・書簡」本文篇より。新かな、洋数字に変えました。編者。)

 

 

これは、中原中也、1937年(昭和12年)9月30日の日記です。

 

この日から1週間後の10月6日、鎌倉養生院に入院。

10月22日午前零時10分、永眠しました。

 

 

日記は死のおよそ3週間前のものです。

 

「会話書」とは、フランス語会話の本のこと。

この頃、ランボーなどフランス詩の翻訳への意欲は衰えず

渡仏の希望を胸に秘めていたのかもしれません。

「浴後詩なる。2編。」とある詩は

未発表詩篇「秋の夜に、湯に浸り」と「四行詩」のことだそうです。

(同上書・解題篇より。)

 

それを読みましょう。

 

 

秋の夜に、湯に浸り

秋の夜に、独りで湯に這入(はい)ることは、

淋しいじゃないか。

 

秋の夜に、人と湯に這入ることも亦(また)、

淋しいじゃないか。

 

話の駒が合ったりすれば、

その時は楽しくもあろう

 

然(しか)しそれというも、何か大事なことを

わきへ置いといてのことのようには思われないか?

 

――秋の夜に湯に這入るには……

独りですべきか、人とすべきか?

 

所詮(しょせん)は何も、

決ることではあるまいぞ。

 

さればいっそ、潜(もぐ)って死にやれ!

それとも汝、熱中事を持て!

 

     ※     ※
        ※  

 

四行詩

 

おまえはもう静かな部屋に帰るがよい。

煥発(かんぱつ)する都会の夜々の燈火(ともしび)を後(あと)に、

おまえはもう、郊外の道を辿(たど)るがよい。

そして心の呟(つぶや)きを、ゆっくりと聴くがよい。

 

(同上書・第2巻「詩Ⅱ」本文篇より。新かなに変えました。編者。)

 

 

途中ですが

今回はここまで。

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