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2016年10月 6日 (木)

中原中也の鎌倉/「在りし日の歌」清書の前後/小林秀雄の家までの道・8

125

風はそよ風。
白萩の葉を幽かに揺らす。

夏の夜には蛍が飛ぶという扇川を想っては
それは武士(もののふ)たちの魂か
――と余計な空想が走りますが
自然は自然。

自然は荒れ狂うばかりが自然でなく
国破れて山河ばかりが自然でもなく
おだやかな日差しの降る時間も自然です。

亀が谷切り通しを一人また二人と
下りてくるもの上っていくものあり
それは途切れ途切れでありますが
絶えることはありません。

自然の要塞とはいえ
やはりここは都会の一角です。

人が、懐かしく、懐かしく思われます。

小林秀雄の住んでいた家は
切り通しのとば口にあった「米新」という旅館の
少し手前の住宅地の
道路から小路(こうじ)を一軒ほど奥に入ったところに位置し
訪ねてくる友人らは
あらたまった場合以外は玄関に立つよりも
庭に抜け
離れになっていた書斎の縁先(えんさき)へと回るのを常としていたそうです。

――という知識をあらかじめ持ちながら
その家を見ることはできなかったのですが。

この場所の先に
「米新」の湯場(ゆば)があったのが
ここに住むきっかけの一つであったことも想像できて
ほっとするような気持ちが起こります。

大岡昇平がこの湯に入り浸っていたという伝説もあるようですが
小林秀雄も執筆の合間に
身心を休めたことでしょう。

ひょっとして
中也もこの湯に入ったことがあるかもしれません。
記録には見つからないようですが。

秋の夜に、独りで湯に這入(はい)ることは、
淋しいじゃないか。

秋の夜に、人と湯に這入ることも亦(また)、
淋しいじゃないか。

話の駒が合ったりすれば、
その時は楽しくもあろう

あたかも辞世のような詩行がよみがえり
ドキリとします。

122

「米新」の入り口。宗教家・田中智学師が別荘としていたが、現在はどこかの企業のビル
が何棟も建っている。

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