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2016年10月12日 (水)

中原中也の鎌倉/「在りし日の歌」清書の前後/箱庭

嘗(かつ)てはランプを、とぼしていたものなんです。


今もう電燈(でんき)の、ない所は殆(ほとん)どない。


――といい、

 

電燈もないような、しずかな村に、


旅をしたいと、僕は思うけれど、


却々(なかなか)それも、六ヶ敷(むつかし)いことなんです。

 


――という詩行をどう読めばいいものか。

 


 


煥発する都会の燈火への不満の表現と読んでいいのでしょうか。

 



そうすると鎌倉は、


電燈もないような、しずかな村ではなかったのでしょうか。

 


鎌倉もやはり


煥発する燈火の都会だったのでしょうか。

 


なので、

しずかな村への旅を願ったのですが


事情はたやすく旅をできるものではなかった。


――と読めますが。

 


 


詩(行)と現実の距離を測るのが


危ないような困難さを覚えます。

 


しかし、


さらば青春! さらば東京!(後記)


――と記した流れは押しとどめがたく


詩人は鎌倉を去る決意を固めていました。

 


友人らに語り


したためた手紙などに


その決意は刻まれています。

 



「新編中原中也全集」は


幾つかの証言を案内していますが


その一つに呼び出すのは


盟友・安原喜弘に宛てた手紙です。

 


 


鎌倉は、暮らしてみればみる程駄目です。あんまり箱庭なので、散歩する気もしません。

散歩しても体操してるみたいな気持しかしません。スケジュールが常におのづと立ちすぎ

ているのです。いっそもっとうんと田舎なら、遠景があります。

 


(中略)

 


行脚がアガッタリだと元気も何もアガッタリになることは、この2年間まるで汽車に乗らない


でいてハッキリと分りました。気がついてみれば僕は旅情の餓鬼です。

 

(「新編中原中也全集」第5巻「日記・書簡」解題篇より。新かな・洋数字に変換しました。編者。)

 


 


さらに続けて、

 

うまい酒と、呑気な旅行と、僕の理想の全てです。問題は陶然と暮せるか暮せないかの一

事です。「さば雲もろとも溶けること!」なんて、ランボオもういやつではありませんか。

 

――と加えています。

 


 


この案内は


(嘗てはラムプを、とぼしていたものなんです)の解題に引用されたものですから


一部になりますが


書簡は封書に書かれた長文です。

 



詩人と安原喜弘は


長い交流の最終局面を迎えようとしている中で


この書簡は9月2日に書かれました。

 


 


鎌倉は「あんまり箱庭」というあたりに


詩人の詩人らしい鋭敏さはあり


生地山口の自然への矜持(きょうじ)が隠されているような下りです。

 


 


途中ですが


今回はここまで。

 

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