中原中也の鎌倉/「在りし日の歌」清書の前後/小林秀雄の家までの道・6
変わらぬものは自然の風景です。
しかし、ススキの茂みが自然のものであるか、そうでないか
考えれば、境界はあいまいです。
このススキの茂みに
長年にわたる人の手が入っていないと断言することはできません。
咲きはじめ匂いはじめの金木犀(きんもくせい)が
民家の庭から道路へこぼれ出ていました。
植栽には、人の匂いが混じります。
咲き初めの白萩(しらはぎ)も同じです。
金木犀も萩も
何かしら、似たような感情を誘い出します。
曼珠沙華(マンジュシャゲ)は
鉄道の古びたコンクリートと似合い
人間の気配を感じさせます。
自然(の風景)の来歴がどのようなものであれ
自然(の風景)の来歴がどのようなものであれ
歩きながら、詩人は変わらない自然を見ていたことでしょう。
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