中原中也の鎌倉/「在りし日の歌」清書の前後/「初夏の夜に」の風景
「初夏の夜に」は
「四季」1937年(昭和12年)10月号(9月20日付け発行)に発表されました。
第1次形態の草稿末尾に「一九三七、五、一四」とあり
これは「蛙声」の制作日と同じ日でした。
◇
初夏の夜に
オヤ、蚊が鳴いてる、またもう夏か――
死んだ子供等は、彼(あ)の世の磧(かわら)から、此(こ)の世の僕等を看守(みまも)ってるんだ。
彼の世の磧は何時(いつ)でも初夏の夜、どうしても僕はそう想(おも)えるんだ。
行こうとしたって、行かれはしないが、あんまり遠くでもなさそうじゃないか。
窓の彼方の、笹藪(ささやぶ)の此方(こちら)の、月のない初夏の宵(よい)の、空間……其処(そこ)に、
死児等(しじら)は茫然(ぼうぜん)、佇(たたず)み僕等を見てるが、何にも咎(とが)めはしない。
罪のない奴等(やつら)が、咎めもせぬから、こっちは尚更(なおさら)、辛(つら)いこった。
いっそほんとは、奴等に棒を与え、なぐって貰(もら)いたいくらいのもんだ。
それにしてもだ、奴等の中にも、10歳もいれば、3歳もいる。
奴等の間にも、競走心が、あるかどうか僕は全然知らぬが、
あるとしたらだ、何(いず)れにしてもが、やさしい奴等のことではあっても、
3歳の奴等は、10歳の奴等より、たしかに可哀想(かわいそう)と僕は思う。
なにさま暗い、あの世の磧の、ことであるから小さい奴等は、
大きい奴等の、腕の下をば、すりぬけてどうにか、遊ぶとは想うけれど、
それにしてもが、3歳の奴等は、10歳の奴等より、可哀想だ……
――オヤ、蚊が鳴いてる、またもう夏か……
(1937・5・14)
(「新編中原中也全集」第1巻「詩Ⅰ」より。新かな・洋数字に変えました。編者。)
◇
第1次形態のタイトルは
「初夏の夜に おもへらく」となっていましたが
「四季」に発表した時に
「おもへらく」は削除されました。
「おもへらく」は漢文系文語。
現代表記にすると「おもえらく(思えらく)」で
「思うことには」「僕は思う」の意味。
◇
オヤ、蚊が鳴いてる、またもう夏か
――という、この冒頭行と最終行によって
この詩が誘(いざな)うのは
死んだ子の回想であり
「おもえらく」は回想であることの強調でした。
蚊が飛んできたという現在は
鎌倉であったことが想像できます。
ここでも
鎌倉でなければならないというものではありませんが。
◇
回想の対象は
1931年(昭和6年)9月26日に亡くなった弟・恰三。
昨1936年11月10日に亡くなった長男・文也。
一人は10歳、一人は3歳で現れますが
どちらも実年齢ではありません。
恰三は10歳に満たず
文也は数え年で3歳ですが。
◇
途中ですが
今回はここまで。
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