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2016年10月30日 (日)

中原中也の鎌倉/「在りし日の歌」清書の前後/「初夏の夜に」の風景

 

「初夏の夜に」は

「四季」1937年(昭和12年)10月号(9月20日付け発行)に発表されました。

 

第1次形態の草稿末尾に「一九三七、五、一四」とあり

これは「蛙声」の制作日と同じ日でした。

 

 

初夏の夜に

 

オヤ、蚊が鳴いてる、またもう夏か――

死んだ子供等は、彼(あ)の世の磧(かわら)から、此(こ)の世の僕等を看守(みまも)ってるんだ。

彼の世の磧は何時(いつ)でも初夏の夜、どうしても僕はそう想(おも)えるんだ。

行こうとしたって、行かれはしないが、あんまり遠くでもなさそうじゃないか。

窓の彼方の、笹藪(ささやぶ)の此方(こちら)の、月のない初夏の宵(よい)の、空間……其処(そこ)に、

死児等(しじら)は茫然(ぼうぜん)、佇(たたず)み僕等を見てるが、何にも咎(とが)めはしない。

罪のない奴等(やつら)が、咎めもせぬから、こっちは尚更(なおさら)、辛(つら)いこった。

いっそほんとは、奴等に棒を与え、なぐって貰(もら)いたいくらいのもんだ。

それにしてもだ、奴等の中にも、10歳もいれば、3歳もいる。

奴等の間にも、競走心が、あるかどうか僕は全然知らぬが、

あるとしたらだ、何(いず)れにしてもが、やさしい奴等のことではあっても、

3歳の奴等は、10歳の奴等より、たしかに可哀想(かわいそう)と僕は思う。

なにさま暗い、あの世の磧の、ことであるから小さい奴等は、

大きい奴等の、腕の下をば、すりぬけてどうにか、遊ぶとは想うけれど、

それにしてもが、3歳の奴等は、10歳の奴等より、可哀想だ……

――オヤ、蚊が鳴いてる、またもう夏か……

                        (1937・5・14)

 

(「新編中原中也全集」第1巻「詩Ⅰ」より。新かな・洋数字に変えました。編者。)

 

 

第1次形態のタイトルは

「初夏の夜に おもへらく」となっていましたが

「四季」に発表した時に

「おもへらく」は削除されました。
 
「おもへらく」は漢文系文語。

 

現代表記にすると「おもえらく(思えらく)」で

「思うことには」「僕は思う」の意味。

 

 

オヤ、蚊が鳴いてる、またもう夏か

 

――という、この冒頭行と最終行によって

この詩が誘(いざな)うのは

死んだ子の回想であり

「おもえらく」は回想であることの強調でした。

 

蚊が飛んできたという現在は

鎌倉であったことが想像できます。

 

ここでも

鎌倉でなければならないというものではありませんが。

 

 

回想の対象は

1931年(昭和6年)9月26日に亡くなった弟・恰三。

昨1936年11月10日に亡くなった長男・文也。

一人は10歳、一人は3歳で現れますが

どちらも実年齢ではありません。

 

恰三は10歳に満たず

文也は数え年で3歳ですが。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

 

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