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2016年10月31日 (月)

中原中也の鎌倉/「在りし日の歌」清書の前後/「少女と雨」の風景

 

 

「雨」を歌った詩の流れに


「梅雨と弟」


「少女と雨」


――の2篇があり


この2篇、元は「梅雨二題」という一つの詩でした。
 



 

少女と雨

 

少女がいま校庭の隅に佇(たたず)んだのは


其処(そこ)は花畑があって菖蒲(しょうぶ)の花が咲いてるからです

 

菖蒲の花は雨に打たれて

音楽室から来るオルガンの 音を聞いてはいませんでした

 

しとしとと雨はあとからあとから降って

花も葉も畑の土ももう諦めきっています

 

その有様をジッと見てると

なんとも不思議な気がして来ます

 

山も校舎も空の下(もと)に

やがてしずかな回転をはじめ

 

花畑を除く一切のものは


みんなとっくに終ってしまった 夢のような気がしてきます

 

(「新編中原中也全集」第1巻「詩Ⅰ」より。新かなに変えました。編者。)

 

 

この詩のめまいのするような感覚は


どこから生じるのか?

 

じっくり読んでいると

 

少女がいま校庭の隅に佇(たたず)んだのは


――という第1行と、

 

その有様をジッと見てると


なんとも不思議な気がして来ます


――という第4連との


目の混乱、いわば錯覚から来ていることに気づきます。

 

 

校庭に佇んで菖蒲の花を見ているのは少女なのですが……。

 

その菖蒲の花は雨に打たれ


音楽室から聞こえてくるオルガンの音を聞いていない。

 

菖蒲の花は


いつしかオルガンを聞いていない詩人に成り代わり


次には


その有様をじっと見ている詩人が現れ


その詩人が不思議な感覚を抱いているのです。

 

もちろん、これは詩人が意図した混乱です。

 

 

雨に打たれ続ける菖蒲の花を


じーっと、ずーっと見ている。

 

詩人はそういう時をもったのでしょうか。

 

もたなくても


この詩は書けるのかもしれません。

 

もったとしたら


そこは鎌倉でしょうか。

 

そんなこと考えるのは無用でしょうか。

 



 

中途ですが


今回はここまで。

 

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