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2016年10月22日 (土)

中原中也の鎌倉/「在りし日の歌」清書の前後/鎌倉詩篇

 

丸善、白水社、三才社は、ともに洋書を取り扱っていた。

――と「新編中原中也全集」の解題篇は記述しています。

 

これは、
この年(1937年)の「四季」11月号に

ルモール詩抄<第1回>」として発表する

女性詩人マルスリーヌ・デボルド=ルモールへの研究をはじめ

フランス詩への取り組みや

フランス語文化(文学)への関心がますます旺盛だったことの現れでしょう。

 

中原中也訳「ランボオ詩集」が発行されたのは

9月15日でしたし

これへの評判は上々で

11月18日再版発行、12月25日3版発行となりましたが

詩人はこのことを知ることはありませんでした。

 

79年前の今日(1937年10月22日)に永眠しました。

 

 

文房堂にて原稿紙、Gペン。

――とある文房堂(ぶんぽどう)は

神田神保町の画材店で

当時、文房堂製の原稿用紙を販売していて

中也が常用していた原稿用紙の一つでした。

 

Gペンは、付けぺんのこと。

詩人は、インク壺を使い、Gペンで原稿用紙に書いていました。

 

 

さらば青春!

さらば東京!

――といっても

文学をやめたわけでもなく

詩人をやめるつもりでもなかったのです。

 

 

では、なぜ鎌倉を去らねばならなかったのでしょうか?

 

茫洋としているというのは

どういうことだったのでしょうか。

 

 

ここで、

詩人が鎌倉という土地への思いを述べた発言を

概観しておきましょう。

 

知人・友人宛ての

詩人自身の記述です。

 

 

阿部六郎宛の書簡より。(1937年7月7日付け。)
 

もうくにを出てから15年ですからね。ほとほともう肉感に乏しい関東の空の下にはくたびれました。それに去年子供に死なれてからというものは、もうどんな詩情も湧きません。

 

河上徹太郎宛の書簡より。(1937年8月推定。)

 

……それに関東の自然はやっぱり僕にはつまらない。枯れた葭に押寄せた寒い宵なんかみたいで、どうも肉感が足りなくて仕方がない。

 

安原喜弘宛の書簡。(1937年9月2日付け。)
 

帰ってもまあ、あんまりいいこともないのですが、ほんのつまらぬ道の曲り角にも、少年時代がこびりついていますし、まあ、なんとなく粘着力は感じられます。

 

(以上、いずれも「新編中原中也全集」第1巻「詩Ⅰ」中「蛙声」解題より。)
 
上記9月2日付けの安原喜弘宛ての書簡には

終生の友であった安原ゆえへの忌憚(きたん)ない感慨(お喋り)が述べられ

将来を語る詩人の口ぶりが軽やかです。

 

 

〇肉感に乏しい関東の空の下

〇子供に死なれてからどんな詩情も湧かない

〇関東の自然はやっぱり僕にはつまらない

〇枯れた葭に押寄せた寒い宵なんかみたい

〇どうも肉感が足りなくて仕方がない

〇(山口には)つまらぬ道の曲り角にも、少年時代がこびりついている

〇(山口には)なんとなく粘着力は感じられます

 

――と、相手によって微妙に差異があり

長男・文也の死以後、療養所生活以外は鎌倉に住んでいた詩人は

子供に死なれてから詩情がわかないというのも

鎌倉という土地への感情ばかりとは言えず

(「関東」への思いの披瀝ですし)

安原宛ては、生地・山口の美点を述べたもので

鎌倉そのものへの感想ではありませんから

厳密に判断する場合には注意が必要ですが

これらが鎌倉を引き上げる理由になったことは間違いありません。

 

けれども

鎌倉が嫌になったから

鎌倉を去るということではなさそうです。

 

 

鎌倉と思われる風景が

鎌倉で制作された詩群の中に散乱しているのは

詩人が鎌倉で詩をそれほど多量に見つけたということですから。

 

鎌倉で制作された詩篇を

ざっと見ておきましょう。

 

 

「生前発表詩篇」のうち、

 

ひからびた心

雨の朝

子守唄よ

渓流

梅雨と弟

夏(僕は卓子の上に)

初夏の夜に

夏日静閑
 

 

未発表詩篇のうち、
 
「早大ノート」にある

こぞの雪今いずこ
 

「草稿詩篇(1937年)」と分類される詩群は

全てが鎌倉で制作されました。

 

このうち「春と恋人」は
「横浜もの」といわれる横浜を題材にした作品ですが。

 

春と恋人

少女と雨

夏と悲運

(嘗てはランプを、とぼしていたものなんです)

秋の夜に、湯に浸り

4行詩

 


 

これらを「鎌倉詩篇」と呼んでもいいくらいです。

 

このほかに「在りし日の歌」中の名作の幾つかが

「鎌倉詩篇」です。

 

調べてみたら、

 

正午

春日狂想

蛙声

 

――の3篇であることがわかりました。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

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