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2016年10月17日 (月)

中原中也の鎌倉/「在りし日の歌」清書の前後/月光

空の下(もと)には 池があった。

その池の めぐりに花は 咲きゆらぎ、

空はかおりと はるけくて、

今年も春は 土肥(つちこ)やし、

雲雀(ひばり)は空に 舞いのぼり、

小児(しょうに)が池に 落っこった。

 

小児は池に仰向(あおむ)けに、

池の縁(ふち)をば 枕にて、

あわあわあわと 吃驚(びっくり)し、

空もみないで 泣きだした。

 

――という詩行を含む「道化の臨終」が

前川佐美男主宰の「日本歌人」に発表されたのは

1937年(昭和12年)の9月号(9月1日付け発行)でした。

 

末尾に制作日が (一九三四・六・二)と記されてあることから

3年前に作った詩を

「日本歌人」へ送ったものということになります。

 



 

……と、ここまでは何の変哲もない書誌ということなのですが

「新編中原中也全集」の解題篇は

驚くべき考証を展開してみせます。

 

 

詩人が「日本歌人」へ「道化の臨終」原稿を送った日の考証。

 

1冊の書物の印刷・発行が順調であるなら

普通、印刷日(8月25日)から逆算して

2か月前の6、7月に入稿しているはずです。

 

ところが、主宰者が書いた9月号後記に

同人の一人が9月1日に奈良の連隊へ入隊したことが記されていました。

 

これは、実際の印刷・発行日が

奥付に記載された印刷日、発行日よりも遅れたことを示すのではないか。

 

そうとなれば

「道化の臨終」が送られたのは

8月と考えられる。

 

この8月こそ

「在りし日の歌」の最終編集のはじまる時期だ。

 



 

考証(推測、推定)がなんとスリリングなものか!

 

緊迫した様子が伝わってきます。

 

「在りし日の歌」の最終編集過程で

「蛙声」と「道化の臨終」の原稿(用紙)が

詩人の手の届くところに置かれていたことが想像できます。

 



 

中也は旧作を発表する時、

なんらかの推敲を加え、手を入れて

その時点でも現在の作品と呼び得る質を維持するのが習いでした。

 

「蛙声」の天と地と池と

「道化の臨終」の空と池とが重なっているのは

そのことを明かしている――。

 

「詳細は不明」としながら

「新編中原中也全集」の解題は

ここまで踏み込んでいるということです。

 

 

あっぱれ!

拍手!

 

 

やや専門的な話になりましたが

「池」の連想(空想)で

「蛙声」から「黄昏」へ飛び

今度は「道化の臨終」へ飛んだのですが

空想の旅も

たまにはリアルな実証の旅に合流するのですから

面白いというほかにありません。

 

だから空想はやめられませんし

旅はやめられません。

 

池(空間)をきっかけにした「黄昏」や「道化の臨終」へのワープは

ひょいと時間をも超えてしまいました。

 



 

「蛙声」が起点でした。

 

鎌倉が起点でした。

 

寿福寺が起点でした。

 

寿福寺の中也の住まいから

小林秀雄の住まいまでの道を歩いてみようというアイデアが出発でした。

 

 

暗い道のりを

詩人が歩いていきます。

 

携帯ランプの灯をとぼしながらなのか

それはわかりませんが

ランプを詩人がこの時持っていたなら

原稿の紙包みは小脇に抱えていたのかもしれませんし

ランプを持たなかったのなら

胸に抱えていたのかもしれません。

 

繃帯を巻いた足首(小林秀雄)で。

下駄履き(中村光夫)で。

 

ひょっとすると

月明りが道を照らし出していたのかもしれません。

 

断崖(きりぎし)を覆(おお)う森の闇の向うに

月光を反照した天は

突き抜けるような蒼穹(あおぞら)を見せていたのかもしれません。

 

煥発する燈火ではなく

月光が詩人の味方だったのかもしれません。

 

……と想像すると

詩人は、案外、すがすがしい心持ちで歩いていたのかもしれません。

 

 

小林秀雄に「在りし日の歌」の清書原稿を届けた3日後に

詩人は上京します。

 

丸善、白水社、三才社等を見、3冊求む。

文房堂にて原稿紙、Gペン。

――などと、その9月29日の日記に認(したた)めます。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

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