中原中也の鎌倉/「在りし日の歌」清書の前後/茫洋(ボーヨー)
その夜のことを回想した
小林秀雄の証言もあります。
◇
彼は黙って、庭から書斎の縁先きに這入って来た。黄ばんだ顔色と、子供っぽい身体に着
たセルの鼠色、それから手足と足首に巻いた薄汚れた繃帯、それを私は忘れる事が出来
ない。
(「中原中也の思い出」昭和53年「新訂小林秀雄全集」第2巻所収。「新編中原中也全集」
第5巻「日記・書簡」解題篇より。)
◇
中村光夫と小林秀雄の二つの記述で
1937年9月26日夜の、中原中也の様子(外見)が
ほぼ把握できます。
黄ばんだ顔色
子供っぽい身体に着たセルの鼠色
手足と足首に巻いた薄汚れた繃帯
(小林)
紙包みをかかええていた
やつれた顔
下駄履きだった
かすれた声
(中村)
――ということになると
軽快な足どりを想像することはできません。
大事な原稿を包んだ紙は
百貨店の包装紙のようなものがあったのでしょうか。
暗い夜道を
懐中電灯を持たずに辿ったのでしょうか。
そもそも懐中電灯は普及していたのでしょうか
ランプだったのでしょうか。
繃帯を巻いた手足は
耐えられるほどの痛みだったのでしょうか。
◇
いろいろと想像するうちに、
(嘗てはランプを、とぼしていたものなんです)
――という未発表詩篇にぶつかりました。
◇
(嘗てはランプを、とぼしていたものなんです)
嘗(かつ)てはランプを、とぼしていたものなんです。
今もう電燈(でんき)の、ない所は殆(ほとん)どない。
電燈もないような、しずかな村に、
旅をしたいと、僕は思うけれど、
却々(なかなか)それも、六ヶ敷(むつかし)いことなんです。
吁(ああ)、科学……
こいつが俺には、どうも気に食わぬ。
ひどく愚鈍な奴等までもが、
科学ときけばにっこりするが、
奴等にや精神(こころ)の、何事も分らぬから、
科学とさえ聞きゃ、にっこりするのだ。
汽車が速いのはよろしい、許す!
汽船が速いのはよろしい、許す!
飛行機が速いのはよろしい、許す!
電信、電話、許す!
其(そ)の他はもう、我慢がならぬ。
知識はすべて、悪魔であるぞ。
やんがて貴様等にも、そのことが分る。
エエイッ、うるさいではないか電車自働車と、
ガタガタガタガタ、朝から晩まで。
いっそ音のせぬのを発明せい、
音はどうも、やりきれぬぞ。
エエイッ、音のないのを発明せい、
音のするのは、みな叩き潰(つぶ)せい!
◇
続いて、
さて、この後どうなることか……それを思えば茫洋とする。
――と「在りし日の歌」後記のつぶやきに思い至ります。
◇
途中ですが
今回はここまで。
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