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2016年10月10日 (月)

中原中也の鎌倉/「在りし日の歌」清書の前後/茫洋(ボーヨー)

その夜のことを回想した

小林秀雄の証言もあります。

 

 

彼は黙って、庭から書斎の縁先きに這入って来た。黄ばんだ顔色と、子供っぽい身体に着

たセルの鼠色、それから手足と足首に巻いた薄汚れた繃帯、それを私は忘れる事が出来

ない。

 


(「中原中也の思い出」昭和53年「新訂小林秀雄全集」第2巻所収。「新編中原中也全集」

第5巻「日記・書簡」解題篇より。)

 


 

中村光夫と小林秀雄の二つの記述で


1937年9月26日夜の、中原中也の様子(外見)が


ほぼ把握できます。

 

黄ばんだ顔色


子供っぽい身体に着たセルの鼠色


手足と足首に巻いた薄汚れた繃帯


(小林)


 
紙包みをかかええていた


やつれた顔


下駄履きだった


かすれた声


(中村)

 

――ということになると


軽快な足どりを想像することはできません。

 

大事な原稿を包んだ紙は


百貨店の包装紙のようなものがあったのでしょうか。

 

暗い夜道を


懐中電灯を持たずに辿ったのでしょうか。

 

そもそも懐中電灯は普及していたのでしょうか


ランプだったのでしょうか。

 

繃帯を巻いた手足は


耐えられるほどの痛みだったのでしょうか。

 



 


いろいろと想像するうちに、


(嘗てはランプを、とぼしていたものなんです)


――という未発表詩篇にぶつかりました。

 


 

(嘗てはランプを、とぼしていたものなんです)

 

嘗(かつ)てはランプを、とぼしていたものなんです。


今もう電燈(でんき)の、ない所は殆(ほとん)どない。


電燈もないような、しずかな村に、


旅をしたいと、僕は思うけれど、


却々(なかなか)それも、六ヶ敷(むつかし)いことなんです。

 

吁(ああ)、科学……


こいつが俺には、どうも気に食わぬ。


ひどく愚鈍な奴等までもが、


科学ときけばにっこりするが、


奴等にや精神(こころ)の、何事も分らぬから、


科学とさえ聞きゃ、にっこりするのだ。

 


汽車が速いのはよろしい、許す!


汽船が速いのはよろしい、許す!


飛行機が速いのはよろしい、許す!


電信、電話、許す!


其(そ)の他はもう、我慢がならぬ。


知識はすべて、悪魔であるぞ。


やんがて貴様等にも、そのことが分る。

 


エエイッ、うるさいではないか電車自働車と、


ガタガタガタガタ、朝から晩まで。


いっそ音のせぬのを発明せい、


音はどうも、やりきれぬぞ。

 

エエイッ、音のないのを発明せい、


音のするのは、みな叩き潰(つぶ)せい!

 

 (「新編中原中也全集」第2巻「詩Ⅱ」より。新かなに変えてあります。編者。)

 

 


続いて、

 

さて、この後どうなることか……それを思えば茫洋とする。


――と「在りし日の歌」後記のつぶやきに思い至ります。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

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