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2016年10月13日 (木)

中原中也の鎌倉/「在りし日の歌」清書の前後/蛙声

鎌倉で作られた詩に

鎌倉が反映されていないわけはないと読むのが自然ですから

(嘗てはランプを、とぼしていたものなんです)や

(秋の夜に、独りで湯に浸かれば)

――などに鎌倉の風景を感じるのは無理ないことです。

 

そうだからといって

詩が

歌った土地を前面で出すものでない場合に

その土地の影響を読むのはいかがなものか。

 

 

鎌倉で書かれた「在りし日の歌」後記は

さらば東京!

――と歌っているのですし

鎌倉は東京(圏)の一部でした。

 

「在りし日の歌」の絶唱「蛙声」も

鎌倉で作られました。

 

 

蛙 声

 

天は地を蓋(おお)い、

そして、地には偶々(たまたま)池がある。

その池で今夜一(ひ)と夜(よ)さ蛙は鳴く……

――あれは、何を鳴いてるのであろう?

 

その声は、空より来(きた)り、

空へと去るのであろう?

天は地を蓋い、

そして蛙声(あせい)は水面に走る。

 

よし此(こ)の地方(くに)が湿潤(しつじゅん)に過ぎるとしても、

疲れたる我等(われら)が心のためには、

柱は猶(なお)、余りに乾いたものと感(おも)われ、

頭は重く、肩は凝(こ)るのだ。

さて、それなのに夜が来れば蛙は鳴き、

その声は水面に走って暗雲(あんうん)に迫る。

 

(「新編中原中也全集」第1巻「詩Ⅰ」より。新かなに変えました。編者。)

 

 

この詩に鎌倉の反映を見ることに

どれほどの意味がありましょう。

 

 

そう言うそばから、

 

天は地を蓋(おお)い、

そして、地には偶々(たまたま)池がある。

――の「天」も「地」も、「池」も

鎌倉は寿福寺の中也の住まいから見えた景色と

あまりにも一致していることに驚かされます。

 

よし此(こ)の地方(くに)が湿潤(しつじゅん)に過ぎるとしても、

疲れたる我等(われら)が心のためには、

柱は猶(なお)、余りに乾いたものと感(おも)われ、



――の「此の地方(くに)」も「柱」もまた

寿福寺を包む風景と

あまりにも似ています。

 

 

にもかかわらず

そんなことどもを何も知らないで

この詩を読むことができます。

 

知っていた方がベターということでもなければ

知らない方がベターということでもありません。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

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