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2016年10月 9日 (日)

中原中也の鎌倉/「在りし日の歌」清書の前後/小林秀雄の家までの道・10

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実は


中原中也が小林秀雄の家に「在りし日の歌」の原稿を届けたのは


夜のことでした。


ですから

昼下がりの風景は


この日の中也を知るには意味のないことなのかもしれません。

 

寿福寺境内を抜け


横須賀線の踏切を渡り


扇川沿いを歩いて


岩船地蔵を曲がって


亀が谷切り通し方面を目指す途中に小林秀雄の住まいはありましたが


夜の風景といえば


暗闇の中に時々現れる街灯か


民家の明かりくらいのものではなかったか。

 

暗闇を詩人は歩いたのです。

 



 


普段の中也が


どのような景色の中を歩いたのか

 

少しはそれを偲ぶことができたか


面影くらいはつかむことができたか

 


夜のことともなれば


あとは想像力で補うほかありません。

 



 


その夜、小林秀雄の書斎に


友人の評論家、中村光夫が居合わせました。

 


その中村光夫が後年(昭和45年、1970年)、


その夜の情景を記述しています。

 

中也を描写した部分の一部をピックアップしてみます。

 



 


9月のある晩、僕が小林氏の書斎にいると、中原氏がひょっこり紙包みをかかえて姿を現

わしました。


 

暗闇のなかから浮かびでた、目の大きな中原氏のやつれた顔にはなにか心をどきりとさせ

るものがありました。


 

下駄をぬいであがると氏はすぐにかすれた声で、詩集の草稿を清書したから持ってきたと

いって、紙包みをといて、分厚い原稿をだしました。


 

(「新編中原中也全集」第1巻「詩Ⅰ 解題篇」より。部分の抜粋です。編者。)

 



 


これは、ほんの一部なのですが


たまたまその場に居合わせた人の観察は


30年以上の時を経ても風化しないどころか


輪郭のはっきりした記憶になっているような記述です

 


 


途中ですが


今回はここまで。

 


 


夕闇迫る小町通りの賑わいが


想像をサポートすることになるでしょうか。

 

 

 

 

 

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