新川和江・抒情の源流/「Chanson」の愛(アムール)
うたう(=歌う)ことをうたった詩は
自然に愛の詩へ流れつき
主流になり支流になり
新川和江の詩に絶え間なく現われます。
「Chanson」は
第2詩集『絵本「永遠」』(1959年発行)に収録されましたから
30歳前に作られた詩ということになります。
◇
Chanson
あまやかに歌いましょうか 愛(アムール)を
でも でも それが出来なくなった
わたしの唇(くち)はつめたく凍(しば)られ
優しい声はのどもとでせきとめられる
いつも いつも
わたしはあなたの裏側へまわり
ひろい背なかに
するどいピンをつき刺してしまう
世界がなんでしょう
文明がなんでしょう
わたしにとってとでもだいじな愛(アムール) 愛(アムール)
率直っていちばんいいことよ
皮肉はだいきらい
それなのになぜ なぜ
あのひとを解剖台へのせてしまうの?
わたしの眼は メス
うたがいぶかいピンセット
心を撮(つま)みあげて
すかしてみたりしたがるのよ
詩人の不幸はいつからはじまった
えらい先生が
詩は批評でなけりゃいけないなんて
おっしゃった日からよ
そんな意見はさらりときき流して
あまやかに歌いましょうか 愛(アムール)を
でも でも それが
どうして出来なくなったのでしょうね
薔薇を見たって 心は燃えない
猫(ミミイ)が死んでも 涙はわかない
いつからでしょうね 固く捲かれたゼンマイが
心の奥で癌のようにしこりはじめたのは
いまではそれが
上からおさえただけでもはっきりわかるようになった
ぎいぎい軋る地球のひびきや
どこかの海に沈んでいった
船がのこした水泡(みなわ)のはじける音などが
あなたの素敵なささやきよりも
もっとすばやく わたしの耳にとどいてしまうの
でも それは
わたしが悪いのじゃないわ
そんなひびきをはこんでくる
今日の風が病気のためよ
ただ わたしは
全身が耳 ゆれやすい草 危険信号みたいな
小さい小さい旗なんですものね
(現代詩文庫64「新川和江詩集」より。原作のルビは( )で示しました。編者。)
◇
第3連に、
詩人の不幸はいつからはじまった
えらい先生が
詩は批評でなけりゃいけないなんて
おっしゃった日からよ
――とある「えらい先生」は
アメリカで生まれ育ちイギリスに帰化した詩人T・S・エリオットのことです。
1948年にノーベル賞をとっていますが
長詩「荒地」の作者であり
日本の戦後詩を牽引(けんいん)した「荒地」グループの拠り所、といえば
アウトラインになるでしょうか。
えらい先生(エリオット)は
新川和江によれば
詩は文明批評でなければいけない、などと言い出した詩人でした。
「Chanson」が発表されたのは
日本では「荒地」「列島」グループがはばを利かせていた時代のことであり
エリオットのいうような批判精神をもたない詩は排撃されましたから
正面、それに立ち向かったことになります。
◇
今思えば
ずいぶん勇気にあふれた詩です。
文明批評に対して
愛=アムールを対置したのですから。
今でもそうかもしれませんが。
◇
途中ですが
今回はここまで。
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