新川和江・抒情の源流/「Chanson」の愛(アムール)・その2
「Chanson」は
あまやかに歌うことが出来なくなった
詩人の不幸についての詩ですが。
どうして出来なくなったのか、とその理由を問い
えらい先生が
詩は批評でなければいけない
――と言った発言が引き金になったことをうたったのですが
それだけで終わっていません。
わたしの唇はつめたく凍られ
優しい声はのどもとでせきとめられる、のです。
◇
あなたの裏側へ回り
背中をピンでつき刺してしまう、のです。
あのひとを解剖台へのせてしまう、のです。
眼はまるでメス。
ピンセット、心をつまんで、すかしてみたり。
バラを見ても燃えないこころ
猫が死んでも涙は出ない
……
◇
よく読めば
第1連、第2連、第4連と
全5連の詩の半分以上が
歌えない現状、歌わない現実を列挙しています。
詩人もまたあまやかに歌うことは出来ないのです。
どころか
ぎいぎい軋る地球のひびき
海に沈んでいった船が残した波の音、などが
あなたの素敵なささやき=アムールよりも
まっさきにわたし(詩人)に聞こえてきてしまう。
◇
詩は批評でなければいけないという詩論を
さらり聞き流すつもりの詩人も
世界の現実、文明の現実を運んでくる風を
否が応でも感じ取らざるを得ません。
詩人の感受性は
現実を吹く病んだ風にいっそう敏感なのです。
◇
というように
この詩、実は
世界とか文明とかを
ちくりと批評しているもののようでもあります。
ちくり、どころか、ざくり、と。
◇
途中ですが
今回はここまで。
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