新川和江・抒情の源流/「比喩でなく」の行為・続
比喩と一言でいいますが
それとは到底わからないように企まれる暗喩(あんゆ)もあり
それは高度な技術を要しますから
修練のようにして
言葉の技術を磨こうとする傾向があって
時には意味不明もしくは伝達不明の詩になることにもなります。
にもかかわらず
韻やルフランなどとともに
比喩(直喩・暗喩)は
詩の修辞の有効な方法であり続けています。
詩、ことさら現代詩から
比喩を差し引いたならば
言葉のあばら骨ばかりの詩が残るような
荒涼とした風景が現れるかもしれません。
新川和江は
そのことを痛いほどに感じていて
それでも「比喩でなく」を
歌いたい衝動を詩にしたに違いありません。
新川和江が
比喩の名手であることに変わりはないのです。
◇
この詩に例示されている比喩の数々。
これを味わってみよう――。
水蜜桃が熟して落ちる 愛のように
河岸の倉庫の火事が消える 愛のように
七月の朝が萎(な)える 愛のように
貧しい小作人の家の豚が痩せる 愛のように
愛は、ここにないでしょうか?
◇
愛の行為を読んでみましょう――。
わたしの口を唇でふさぎ
あのひとはわたしを抱いた
◇
愛の行為は
この2行だけに鮮やかです。
しかし。
公園の闇 匂う木の葉 迸る噴水
なにもかも愛のようだった なにもかも
――と続く詩行が
この詩の殺し文句なのではありませんか。
◇
否(いいえ)!
――という声がして
なおも続く詩行の中に分け入っていく時
この詩はありのままの姿を見せはじめるような。
◇
途中ですが
今回はここまで。
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