新川和江・抒情の源流/「ノン・レトリックⅡ」という答え
詩が追い求める
普遍的で切実なテーマ。
テーマというと
仰々しくはあるのですが。
正面から
そのようなものに向かっているのが「ノン・レトリック Ⅰ」に続く
「ノン・レトリック Ⅱ」です。
◇
ノン・レトリック Ⅱ
マルセル・カミュの「熱風」をみる
黒人ベイジャフロールが
電報を打つ
フォルタレザからバイアへ
恋人の待つバイアへ
<私が行く>と
――愛している とか
早く顔がみたい とか
つけ足さなくてもいいのかね
――必要ないね
愛しているのは あたりまえ
早く顔がみたいの あたりまえ
<私が行く>それが現在のすべて
ファルタレザからバイアへ
ぐい!
と一本彼はロードをひいたのだ
熱いかまどで焼きあげた石で
ハートで
靄(もや)などかかるいとまがあろうか
その上をまっしぐらに飛んで<私が行く>
木よ 何故言わないの?
東京 メーン・ストリート
並木の青葉は矢鱈(やたら)にかげりが多すぎる
不要な枝葉をすっぽりとはらい落とし
何故言わない? たくましい幹もあらわに<ここに私が立つ>と
靴よ 定期入れよ カフスボタンよ
何故言わない? <私が>と
都会の甘い夕暮のなかに
何故語尾をにごらせ融和させてしまうのだ?
男よ 何故言わない?
一杯のコーヒーが熱いあいだに
何故言わない? <きみが欲しい>と
遠まわしのプロポーズで美辞麗句で
何故ちっぽけな茶碗のふちを万里の長城にしてしまうのだ?
千枚のラブレターを書くことで
何故千枚のコスチュームを身にまといつけてしまうのだ?
林檎にサクリと歯をあてるように
女よ 何故言わない? <私もやっぱりあなたが欲しい>と
(現代詩文庫64「新川和江詩集」より。)
◇
こちら「ノン・レトリック Ⅱ」によって
明らかになるのは
男と女の間に
無用であるかのようなもの=レトリックです。
◇
こちらでは一挙に
愛の行為と言葉(レトリック)の距離が問われ
レトリック論が
いつしか恋愛論に変っています!
◇
途中ですが
今回はここまで。
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