カテゴリー

2024年1月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
無料ブログはココログ

« 中原中也の鎌倉/「在りし日の歌」清書の前後/「夏と悲運」の風景 | トップページ | 中原中也の鎌倉/「在りし日の歌」清書の前後/「子守唄よ」の風景 »

2016年11月 2日 (水)

中原中也の鎌倉/「在りし日の歌」清書の前後/「渓流」の風景

 

「渓流」が作られたのは


「夏と悲運」が作られた3日後のことでした。

 

1937年7月18日付けの「都新聞」に発表されました。

 

 

「渓流」は

本文中に「たにがわ」のルビが詩人によって振られていますが


タイトルを「けいりゅう」とは読まないという掟(おきて)があるものでもなく


どちらかであるかは


読む人に任せられるものでしょう。

 

「新全集」解題篇も


そのようなヒントを案内しています。

 



渓流



 

渓流(たにがわ)で冷やされたビールは、


青春のように悲しかった。


峰(みね)を仰(あお)いで僕は、


泣き入るように飲んだ。

 

ビショビショに濡(ぬ)れて、とれそうになっているレッテルも、

青春のように悲しかった。


しかしみんなは、「実にいい」とばかり云(い)った。


僕も実は、そう云ったのだが。

 

湿った苔(こけ)も泡立つ水も、

日蔭も岩も悲しかった。

やがてみんなは飲む手をやめた。


ビールはまだ、渓流の中で冷やされていた。

 

水を透かして瓶(びん)の肌(はだ)えをみていると、

僕はもう、此(こ)の上歩きたいなぞとは思わなかった。


独り失敬(しっけい)して、宿(やど)に行って、


女中(ねえさん)と話をした。


                (1937・7・15)

 

(「新編中原中也全集」第1巻「詩Ⅰ」より。新かな・洋数字に変えました。編者。)

 

 

回想の流れの詩というよりは


直近の経験を歌ったような詩行の印象があります。

 

青春(という言葉)が

これほど鮮烈に抽象化されつつ


たった今過ぎ去った過去のものとして具体的に歌われてあり


あっと息を飲む衝撃が起こります。

 

さらば青春!

――の現場を見るような。

 

 


宿(やど)


女中(ねえさん)


――は、いかにも旅先のムードですが


深山幽谷の旅情ではなく


都市近郊へのピクニックが想像されます。

 

その土地を

鎌倉近辺と特定するまでもありませんが。

 

 

中途ですが

今回はここまで。

« 中原中也の鎌倉/「在りし日の歌」清書の前後/「夏と悲運」の風景 | トップページ | 中原中也の鎌倉/「在りし日の歌」清書の前後/「子守唄よ」の風景 »

091中原中也の鎌倉」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 中原中也の鎌倉/「在りし日の歌」清書の前後/「夏と悲運」の風景 | トップページ | 中原中也の鎌倉/「在りし日の歌」清書の前後/「子守唄よ」の風景 »