中原中也の鎌倉/「在りし日の歌」清書の前後/「渓流」の風景
「渓流」が作られたのは
「夏と悲運」が作られた3日後のことでした。
1937年7月18日付けの「都新聞」に発表されました。
◇
「渓流」は
本文中に「たにがわ」のルビが詩人によって振られていますが
タイトルを「けいりゅう」とは読まないという掟(おきて)があるものでもなく
どちらかであるかは
読む人に任せられるものでしょう。
「新全集」解題篇も
そのようなヒントを案内しています。
◇
渓流
渓流(たにがわ)で冷やされたビールは、
青春のように悲しかった。
峰(みね)を仰(あお)いで僕は、
泣き入るように飲んだ。
ビショビショに濡(ぬ)れて、とれそうになっているレッテルも、
青春のように悲しかった。
しかしみんなは、「実にいい」とばかり云(い)った。
僕も実は、そう云ったのだが。
湿った苔(こけ)も泡立つ水も、
日蔭も岩も悲しかった。
やがてみんなは飲む手をやめた。
ビールはまだ、渓流の中で冷やされていた。
水を透かして瓶(びん)の肌(はだ)えをみていると、
僕はもう、此(こ)の上歩きたいなぞとは思わなかった。
独り失敬(しっけい)して、宿(やど)に行って、
女中(ねえさん)と話をした。
(1937・7・15)
(「新編中原中也全集」第1巻「詩Ⅰ」より。新かな・洋数字に変えました。編者。)
◇
回想の流れの詩というよりは
直近の経験を歌ったような詩行の印象があります。
青春(という言葉)が
これほど鮮烈に抽象化されつつ
たった今過ぎ去った過去のものとして具体的に歌われてあり
あっと息を飲む衝撃が起こります。
さらば青春!
――の現場を見るような。
◇
宿(やど)
女中(ねえさん)
――は、いかにも旅先のムードですが
深山幽谷の旅情ではなく
都市近郊へのピクニックが想像されます。
その土地を
鎌倉近辺と特定するまでもありませんが。
◇
中途ですが
今回はここまで。
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