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2016年11月 1日 (火)

中原中也の鎌倉/「在りし日の歌」清書の前後/「梅雨と弟」の風景

 

 

「梅雨と弟」が作られたのは


1937年(昭和12年)5~6月と推定されています。



「少女の友」の同年8月号(発行8月1日付け)に発表された時


「梅雨二題」というタイトルでした。

 

 

その第1節です。

 

降り続く雨に


詩人はあたかも身を任せ


遠い日の中に舞い立ちますが


茫然自失しているのではありません。

 

 



 

梅雨と弟



 

毎日々々雨が降ります


去年の今頃梅の実を持って遊んだ弟は


去年の秋に亡くなって


今年の梅雨(つゆ)にはいませんのです

 

 

お母さまが おっしゃいました


また今年も梅酒をこさおうね


そしたらまた来年の夏も飲物(のみもの)があるからね


あたしはお答えしませんでした


弟のことを思い出していましたので

 



去年梅酒をこしらう時には


あたしがお手伝いしていますと


弟が来て梅を放(ほ)ったり随分(ずいぶん)と邪魔をしました


あたしはにらんでやりましたが


あんなことをしなければよかったと


今ではそれを悔んでおります……

 



(「新編中原中也全集」第1巻「詩Ⅰ」より。新かなに変えました。編者。)

 

 

 

 

弟は、長男・文也のことで


亜郎や恰三のことではありません。

 

 

昨年の秋に亡くなった文也に


もっと先に亡くなった弟たちが重なり


弟に仕立てたのです。

 

 

 

 

錯覚ではなく


創意(フィクション)がここに見られます。

 

 

文也の死を乗り越えようとする


秘めたる意志とも呼んでよいでしょう。

 

 

 

 

しとしと降る雨は


鎌倉の雨でしょうが


そのように読む必要もないほどに


雨の固有性(映像性)はありません。

 

 

 

 

中途ですが


今回はここまで。

 

 

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