中原中也の鎌倉/「在りし日の歌」清書の前後/「梅雨と弟」の風景
「梅雨と弟」が作られたのは
1937年(昭和12年)5~6月と推定されています。
「少女の友」の同年8月号(発行8月1日付け)に発表された時
「梅雨二題」というタイトルでした。
その第1節です。
降り続く雨に
詩人はあたかも身を任せ
遠い日の中に舞い立ちますが
茫然自失しているのではありません。
◇
梅雨と弟
毎日々々雨が降ります
去年の今頃梅の実を持って遊んだ弟は
去年の秋に亡くなって
今年の梅雨(つゆ)にはいませんのです
お母さまが おっしゃいました
また今年も梅酒をこさおうね
そしたらまた来年の夏も飲物(のみもの)があるからね
あたしはお答えしませんでした
弟のことを思い出していましたので
去年梅酒をこしらう時には
あたしがお手伝いしていますと
弟が来て梅を放(ほ)ったり随分(ずいぶん)と邪魔をしました
あたしはにらんでやりましたが
あんなことをしなければよかったと
今ではそれを悔んでおります……
(「新編中原中也全集」第1巻「詩Ⅰ」より。新かなに変えました。編者。)
◇
弟は、長男・文也のことで
亜郎や恰三のことではありません。
昨年の秋に亡くなった文也に
もっと先に亡くなった弟たちが重なり
弟に仕立てたのです。
◇
錯覚ではなく
創意(フィクション)がここに見られます。
文也の死を乗り越えようとする
秘めたる意志とも呼んでよいでしょう。
◇
しとしと降る雨は
鎌倉の雨でしょうが
そのように読む必要もないほどに
雨の固有性(映像性)はありません。
◇
中途ですが
今回はここまで。
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