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2016年11月27日 (日)

新川和江・抒情の源流/「あこがれ」のヒバリ

 

 

ヒバリをうたった詩が

もう一つあります。

 

他にもあるかもしれませんが。

 

 

あこがれ

 

どんな一途(いちず)なあこがれが

あのように

ヒバリを飛翔(ひしょう)させるのでしょうか

深い井戸に落ちこむように

空のふかみにはまってゆく

 

どんなせつない願いごとが

あのように

ヒバリののどをふるわせるのでしょうか

胸も裂(さ)けよとばかり

空いっぱいに歌をひろがらせて

 

天までゆかなくとも

餌(え)は むぎばたけの中にあると

歌わなくとも

巣づくりはできると

知っていながら 知っていながら

 

(ハルキ文庫「新川和江詩集」より。原作のルビは( )で示しました。編者。)
 

 

この詩は

ハルキ文庫では

幼年・少年少女詩篇の中に配置されています。

 

詩人は

かなり早い時から

児童や少年少女向けの詩を書きはじめ

童詩、童謡、幼年詩、少年少女詩を発表してきました。

 

膨大な作品の中の

この「あこがれ」は一つです。

 

 

この詩も

ヒバリをはじめ遠景でとらえ

大空の奥がへ舞い上がるヒバリの様子を、

 

深い井戸に落ちこむように

空のふかみにはまってゆく

――とうたいはじめて

 

最終連、

歌わなくとも

巣づくりはできると

知っていながら 知っていながら

――とヒバリそのものになります。

 

同一化、一体化が起こります。

 

 

ヒバリは

あこがれであるけれど

詩人はここでも

ヒバリになっています。

 

面白いですね。

 

このあこがれですが

和泉式部の

物おもへば沢の蛍も我が身よりあくがれいづる魂かとぞみる

――を当然、意識しているのでしょうね。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

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